置かれた場所で咲きなさい
ゆうすけ紹介ありがとう。(どんな爆弾紹介がくるかヒヤヒヤでした)
4回生の奥川惇世です。
みなさん、お疲れ様です。
そして大変お世話になりました。
今回のブログが大教サッカー部の一員として残す最後の文章なのかと思うと、感慨深いものがあります。
4年間色々あったなー。良い同期に恵まれたなー。おもろい先輩多かったなー。後輩みんなええ奴やったなー。サッカーって最高のスポーツやったなー。
文面でみたら浅すぎるけど、涙出そうなくらい思い出深いです。
僕はこういうブログとか、誰かに見られることに関しては、格好良いことを書こうとする人間です。結構人の目を気にするし、誰かに影響を与えたいとすら思う傲慢さもあります。
ですが、本日限りは等身大で素直に行こうかなと思います。10年後の自分が読んだ時に思い出に耽るくらいになればいいかな。
とても自己満ブログになる可能性が出てきましたが、最後まで読んで頂けたら嬉しいです。。
それでは本題へ。
「高校からサッカーを始めた人」
と僕のことを認識している人が多いと思います。しかし、実は小学2年〜3年あたりで約一年間サッカークラブチームに入っていました。
僕がサッカーボールを初めて蹴ったのは、保育園の時でした。保育園にサッカープロ選手(誰かは覚えていない、プロかも分からない)が来てくれた影響でサッカーかっこいいなと思い、保育園の誰も使っていなかったゴールに1人でシュートを打ちはじめた記憶があります。
そこから、サッカーいいやんかと思い、小学2年で地元唯一のクラブチームに入らせてもらいました。
同期がほぼいなく、上の学年と一緒にプレーしてました。当時の自分からしたらレベルが高い環境でした。めちゃ苦い思い出ばかりですが、今思えばここでの経験がサッカーをやりたいともう一度思う火種になった。
しかしながら、小学3年の時リフティングのテストで母と決めた目標に届かずそのクラブチームを辞めました。目標に届かなかったら辞めるという約束をした理由は色々ありますが、根拠のない自信を持ち練習をしなかった自分の責です。じいちゃんに送り迎えしてもらってたのに、情け無い限りです。じいちゃん大4までサッカーやらせてもらったよ。ありがとう。
クラブチームもやめても、サッカーは地元のスポーツ少年団で週一でやっていましたが、そこからは野球を始めたので自分の中ではシフトチェンジしていった感覚でした。
そこから中学校でも部活で野球に励み、
気づけば中3の進路選択になります。
勉強か、野球か。周囲からはそう言われました。
でも僕の中ではサッカーやりたいなという思いしかなかったんです。中学でサッカーができなかった分、小学校でも週一しか練習なかった分、毎日サッカーしたいなと思ったし、上手くなりたいと思ったんです。
色々オープンスクールに連れてってもらいましたが、ピンと来る学校がないなと悩んでいた時、たまたまテレビを見ていると「高校サッカー選手権 広島県予選 決勝戦」が放送していました。結論、その勝者が後に入学する広島皆実高校でした。ほぼ全校生徒が応援に来ていて、変なユニホームだけど強くて、めちゃくちゃ輝いていたのを覚えています。試合終了後、ネットで「広島県 高校 サッカー 強さランキング」で検索すると1番上に出てきました。直感で、サッカー上手くなりたいなら、1番強い高校に行ったらいいやんと半分自分を洗脳し、人生の選択をしました。
高校は忘れられないくらい濃い3年間。順風満帆とはほど遠かったけど、最初はセレクションで入れなかったら土下座しようとか、いじめられても絶対やったろうとか、気合い入ってました。
最初の練習で周りが中学、ジュニアユースのかっこいいジャージを着てる中、自分だけ体操服だったのはきつかった。昔の自分を褒めてやりたい。よく続けてくれた。
体も精神も最初が一番しんどく、野球とは使う筋肉が違うし、強豪校の練習の強度もあり、筋肉痛で体が痙攣して寝られない日が続きました。
実家を離れ下宿したので、新生活のストレスも重なり何回辞めたいと思ったか数えきれません。
どうにか目立つために、走りだけは食らいついていましたが、技術面、戦術面が乏しすぎて練習についていくのが精一杯。むしろ練習の足を引っ張っていました。
そんな僕が、最終的には副キャプテンを任せてもらえるくらい成長できた要因はプライドを捨てれたからかなと思います。
野球で培った自分はできるというプライドを正確には折られたんですけど、それをなくして盲目的に努力したことです。
朝練の前に体育館下で自主練をしたり、夕練後に夜10時まで自主練したり、サッカー上達動画を未漁ったり、練習のボール回しに3年生のスタメン組のグループに混ざりに行ったり、陸上の先生にジャンプ力あげるトレーニング教えてもらったり。できることは何でもしました。そういうプライドを捨て、恥を捨て、泥臭く努力したことがよかったんだと思います。
そして、大学。
高校サッカー部のチームメイトと今度は敵として戦いたいという思いと、もっと上手くなりたいという思いがあり、大学でもサッカーを続けようと決めました。
本当は全員知らない環境でサッカーをやりたかったんですけど、表がいました。ずっと一緒やん。タカとエイルが同じくるくるパーマを当てていて、1週間くらい見分けがつかなかったこともありました。
週2オフで、学生主体で、長期休み多めという噂を聞いていたので、もしかしたらそんなレベル高くないんかなとか思ってましたが、めっちゃ上手い先輩が何人もいてこの中でサッカーできるの楽しいんやろうなと最初すごいワクワクしてました。
1回の頃は、砂さん、道くんのチームで切磋琢磨しました。関福での初勝利気持ちかったな。
2回の頃は、TOPの試合にも出させてもらい、選手として成長できた一年でした。
3回の頃は、あまり上手くいかなかったし、後半に腰の怪我をしてしまい情けない一年やった。
そして4回、
今年こそ、チームの勝利に貢献したいなと意気込んでスタートしましたが、結果を出すことができず、常にあったハングリーさも湧かなくなり、なかなか上手くいかない前期でした。チームとしても、絶対に2部復帰しなければいけない状況の中、選手としても副キャプテンとしても良い影響を与えられず、無力感に埋め尽くされてました。
そしてトドメに、最後の夏の遠征、筑波との試合で膝を怪我してしまい。正直「あ、引退や」って思いました。そこから無理して復帰したりもしたけど、やっぱりダメで、最後試合出て終わりたかったなってエモい気持ちになっていました。
そんな静かに引退を噛み締めていた時期に、部室を見渡すと怪我してもみんなのサポートをしている光や、膝とか足裏とか怪我しても頑張ってる周太郎とか、足首のアイシングを一生してるけいすけとかがいました。そういう姿を見て、残り数ヶ月もう一回頑張ろうと思えました。みんなありがとう。
なんとか走れるようになって、痛み止め飲みながらもなんとか復帰できてます。
本当の引退まで残り少しですが、自分のためにも、みんなのためにも最後まで走りきろうと思います。
振り返ると大学の4年間はあっという間でした。
めちゃくちゃ楽しかったし、大学生になって悔しい思いもたくさんできたし、何よりもいい仲間に出会えたなって思います。
僕から最後伝えたいことは、
「やるしかない」ってことです。
人間、言い訳ができる唯一の動物です。誰かのせいにしたり、環境のせいにしたり、怪我のせいとかにしたり、正直何にでも言えると思います。でも、そんなん言っててもダサいし、何も前に進まないし、何より過去の自分も未来の自分もそんな今の自分を見て良い気はしないはずです。今、自分が与えられた全てのものの中でやるしかない。そういうマインドが、自分の成長に繋がると思うし、結果的に周りにも良い影響与えられると思います。
これが、僕が大学サッカーで一番学んだこと。
そんな人が一人でも多いチームが、強いチームかなと思います。
まだ、今年のリーグの結果は出てないけど、最後みんなで笑って終われたら最高やな。やるしかない。
最後にメッセージ残しときます。
同回生へ。
4年間ありがとう。性格から何もかも違うメンバーやったけど、なんだかんだまとまって、おもろい同期でした。また、全員で飯行こうね。
後輩へ。
それぞれの回生に色があって、楽しませてもらってました。
当たり前やけど、同じ人間はいないんで、他のやつのことを理解しようとすること、チーム全体を考えて行動できる人が増えればもっと強いチームになると思う。まずは今年、昇格しよう。来年も期待してます。
家族へ。
サッカーさせてくれてありがとう。感謝しかありません。
また、手紙書きます。
拙すぎる文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
次のブログは、
200個の異名を持つあの男。
机のコップはこぼさずにはいられない。そんなワイルドでお茶目な
長身(手足もちゃんと長い)イケメンストライカーは、何を語るのか。
みなさん、期待してお待ちください。




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