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曲がらない自分の軸


こんにちは。4回生の表俊介です。よろしくお願いします。


いよいよ引退ブログです。


しかし、公開されるか分かりません。

とりあえず執筆させていただきます。


こんな自分には何が書けるだろうと考えた結果、「部活しんどいな」みたいに思ってる人に向けて、

自分の過去と本音みたいなものを書きたいと思います。読むのは共感できる人だけで大丈夫です。4回は読んでほしーな。


自分の過去とか本音とか人に話したことがあんまりないので緊張する。


ではどうぞ。


中2の2月、「高校受験への戦いはもう始まっている」的なことを先生が言い始める時期。確か水曜日だったと思う。朝起きると右足の感覚がないことに気づく、


「かあさーん、起き上がれんのんじゃけど」

母さんに事情を説明。


学校を休み、すぐに病院に行った。診断結果は椎間板ヘルニアだった、しかも重度の。淡々と「中学生でこれはありえない」「もうサッカーは諦めたほうがいい」と医者に言われた記憶が鮮明に残っている。

あのMRIの画像は一生忘れないと思う。

体についての知識なんてなかったけど、見た瞬間「これ終わってんじゃん」って思った。下半身に繋がる神経が完全に潰れていた。


プレー中になったわけではないし交通事故でもない。気づいたらそうなっていた。納得できなかった。


原因はオーバーワークだった。所属していたチームでは基本的に週末は


土日どっちも公式戦があってどっちもフル出場


土曜日フル出場して日曜日の朝にトレセンがあって夕方の試合もフル出場みたいなこともよくあった。


そんな生活をチームに入ってから約2年続けていた。

オフは週1とかだったと思う多分。


「足が痛いので休みます」「もう出れません」ってコーチに言っても「チャリ乗れるなら怪我じゃない」「骨折以外は怪我じゃない」って試合に出さされたし。

体調不良で休もうもんなら、ありえないぐらいブチギレられる。

高熱で試合に出たこともあった気がする。

風邪も怪我も成長痛も許してもらえなかった。

修学旅行で休んで怒られたこともあった。

とゆうかそもそも「NO」なんてありえないって思ってた。

辛いって思う感情が麻痺してたと思う。

パワハラだよね完全に。相手は中学生やでって感じ。

2年生の時からチームでいちばん上手かったから、過度な期待とかそんなものもあったのかもしれない。



ヘルニアも正直ずっと体おかしいなって思ってた。1年間ぐらい。右足と右おしり痛いし、しびれるし。



その時の俺は今と違ってひたむきに頑張る一生懸命な性格だった。「痛い」「辛い」「苦しい」は言わなかった。心配されても「大丈夫」しか言わない純粋で可愛い子どもだった。


右足が完全に麻痺するまで弱音が吐けなかった。



そこからは家で寝たきり状態が続く、もちろん大好きな学校には行けない。

担任の先生がお見舞いに来てくれた。国語の太っちょ先生だった。女の子からの告白を断ったら、その周りの女の子たち5人ぐらいが「いじめてる」みたいに言い出して、その先生に廊下に呼ばれて女の子たちの前で怒られたことがある。でも最後に「俺は分かってる」って言ってくれた。

割と好きな先生だった。その時に思った「モテるって辛い」「女の子ってめんどくさい」って。

ちなみに俺は国語の鬼才です。東野圭吾が大好きです。


混乱したまますぐに手術が決まった。

「サッカーを続けるならこの方法がいい」「アスリート用の手術をした方がいい」的な説明を受けたけどよく分からなかった。言われるがままだった。


手術当日。

「全くビビってない」という強気の発言。

内心は「ちょ待ってホンマに怖い。明日に延期してくれ」

ダサ坊すぎる。

手術室では秦基博の鱗が流れていた。人生で1番大切な曲になった。


「麻酔入りまーす」


部分麻酔だったのに即気絶。麻酔が効きやすかったらしい。

コナン君いつでも待ってます。

手術が終わり手術をしたベッドのままMRIに運ばれた。麻酔の副作用、閉所恐怖症、手術が終わった安心感で大泣きをした。撮影した画像には大粒の涙が映っていたらしい。

手術は成功した。後遺症は少しあったけど。


お見舞いにたくさんの人が来てくれた。

女の子も来てくれたなそういえば

「もう!来んでええって笑」って言った。いや、ダサ坊すぎる。

後から聞いたら遊びのついでだったそうだ。ダサ坊すぎる。


2年5組だったかな多分。クラスのみんなから寄せ書きをもらった別のクラスの友達もたくさん書いてくれていた。

「お前いねーと学校つまんねーよ!!」「俺は甲子園でお前は選手権な」みたいなメッセージ。

「どう?」って聞かれて「普通」って言った。

いやいや、ダサ坊すぎる。



退院した。久しぶりに自分の足だけで立てた。



基本、安静って感じ。ずっと横になってた。

重力に逆らわないから背が伸びるかもって期待してた。

お風呂に入る時以外はコルセットをつけないといけない。お風呂に入るにも介護が必要な感じ。術後1ヶ月で日常生活への復帰のリハビリが始まった。

風呂上がりに全身鏡で自分の体を見てギョッとした。

右足の痛み、しびれを我慢して1年ぐらいサッカーを続けたせいで体はありえないほど曲がっていた。くの字に。その時感じたのは「体だけじゃなく人生も歪んだんだな」ってこと。


写真撮ってないかー俺、抜かりがえぐい。


顔

く←マジこの質感の曲がり方。

足


不等号かと思った。


顔

2<5

足


いや笑えないって笑。


骨盤がズレて後傾して回旋していたらしい。

ルービックキューブやん。俺の骨盤。


そんなこんなで中3の新学期クラス替え。学校に行けたんかな?そん時、覚えてないけど。

3年5組だった。友達は多めだった。

担任は家庭科のおばさん先生。おばさんって言ったらおねーさんなって言ってくる人だったな。提出物にうるさかったな。目を見て怒ってくる先生だったから、結構好きだった。愛があったな。


座れなかったから、1学期はほとんど学校に行けなかった。行けても午前だけとか。


母さんがリハビリに毎日送り迎えしてくれた。本当にありがとう。


体育は全部見学だった。にしても成績2はないやろ。


技術の授業でなすび栽培があった。みんなが俺のなすびを植えてくれた。でもお世話まではしてくれなかったから芽が出なかったらしい。知った時に絞り出した言葉は「なすび嫌いじゃけええよ」だったな確か。なすびは好きです。


体育祭も行けなかったな。クラス対抗の大縄したかった。40回しか跳べなかったらしい。もっとやれよ。厳しいって。弱いって。


合唱祭は音痴すぎたな。「お前もう歌うな」って音楽の先生に爆笑されながら言われた。クラスのみんなも笑ってた。いくら俺でも傷つくよあれは。悔しかったからバカでかい声で歌った。入賞できなかった。戦犯すぎる。


久しぶりに学校で給食を食べた時。普段はイケメンで面白い先生が俺の机で食べてたらしい。班の女の子が「えー表より〇〇先生がいい!」って言ってきた。いくら俺でも傷つくよあれは。苦し紛れに「バーロー」って工藤新一のモノマネをした。めちゃくちゃスベった。その先生は社会の先生だった。確かに面白かった。


まじで学校が大好きだった。もっと行きたかったな。




座るとか歩くとかそこら辺のリハビリからスタート。

ヘルニア自体の後遺症と無理をした体の歪み矯正、再発予防の体の動かし方などなど。リハビリは約1年続いた。

高校入学直前まで。あ、でもコロナがあったから、よくわからん感じで終わったな。


もちろんサッカーなんてできない。そのままチームを引退した。チームのコーチはあんまり悪気はないみたいな感じだった気がする。

謝られた記憶はないし、汚い話だけどお金の話もあった。

なんかもう怪我したならどうでもいいみたいな雰囲気を感じていた。

新チームになって最初は俺の背番号は空き番になっていたけど、気づけば空き番はなくなっていた。

俺のことは忘れたようにチームは進んでいく。

まぁしょうがないけど。


そんなコーチを見て。


みんながサッカーしている写真を見て。


家族のサポートしてくれる姿を見て。


自分のくの字の体を見て思った。




「一生懸命の結果がこれかよ」って




まるで自分の意思、軸がないように周りの人の言葉に従順だと、人生がとんでもない形に歪んでしまうなと思った。人生の責任は誰も取ってくれない。


おかしいことを言っている大人もいるんだなって思った。やっぱり自分の身は自分で守らないといけない。子どもだからとか関係ない。


周りの人の辛さに敏感な人間になったと思う。

逆に自分のことを大切にしてくれない人はフル無視でいいやってなった。優しくする意味はないと思った。


自分は理不尽に対して踏ん張れるほど頑丈じゃないと気づいた。



純粋な中学生があの体見たら人生変わるよなって思うぐらい恐怖体験だった。と今では思う。



人生を人任せにしたからいけなかったんだと思った。


自分の軸で生きると決めた。




曲がらない自分の軸で。





リハビリの期間、サッカーから離れて色んな趣味ができた。東野圭吾のミステリー。元々好きだった漫画もありえないぐらい読んだ。少女漫画にも手を出した。東海オンエアとかも見てたな。今はコムドット1強。


とにかく「今」やりたいことをやった。

サッカーから離れるとやっぱりサッカーをやりたくなり、

小学生の時から憧れていた皆実に行くことを決めた。



高校受験は余裕だった正直。ここが俺のすごいところだと思う。大学受験も含めて。



中3の1年間、サッカーをしていなかった自分が強豪校で試合に出れるなんて思ってなかった。自主練も全くしていなかった。

でもほぼ初心者のやつがいた。

めっちゃ努力していた。感動するぐらい。

ボランチを「BO」と書いた男だった。奥川惇世だ。

誰よりも遅く残って自主練をしていたじゅんせいを「野球部から来てすげーな」って思いながらグラウンドから帰っていた時が懐かしい。

紅白戦でじゅんせいが結果出して、Aチームにきたとき。

同期全員が自分のことのように喜んでいたのを覚えている。

もちろん俺も。まじで感動した。サッカー始めてまだ1年経ってなかったんよ?ヤバいってまじで。

やっぱじゅんせいエグいよ。最後に一緒に試合出たかった。本当に尊敬している。




なんだかんだ2年生のころから試合に出させてもらった。なんだかんだで点を取ったこともあった。ありがたかった。運がいい。恵まれている。


そこから皆実での日々、2度目の手術、大学受験、大学生活を超えて


大学サッカー生活も振り返る。




今に至る。




超えたというか苦しいことはできるだけ避けてきた。


嫌なことは嫌だし。

痛いなら痛いし。

できないならできない。

おもんないことはおもんないし。

やりたくないことはやりたくない。

関わりたくない人とは関わらないようにした。

不満もめっちゃ言うようになった。抱えると動けなくなるからガス抜きだった。

とにかく自分の軸でなんでも決めてきた。


まずはみんなに言いたい。こんなわがままな自分を受け入れてくれてありがとうって。

言っても意味ないなって諦めてたのか呆れてたのかは分からないけど。

それでも本当にありがとう。感謝の気持ちでいっぱいです。


特に同期。最初に部活しんどいってなって「やめようかな」って言ったときにみんながありえんぐらい引き止めてくれたことを忘れません。

多分みんなに言うってことは止めて欲しかったんだと思う。

ダサ坊というよりメンヘラやな。

「やめるときは一緒や」「やめたら悲しいな」「背番号もらってるんだろ」「お前やめるなら俺もやめる Byチビ」

ってみんなが色んな思いを伝えてくれた。次の日、LINEをくれた人もいる。俺は最後まで頑張れなかったし、迷惑もかけたし、頭が上がりません。

「とっととやめろ」って言われてもおかしくなかったなって思ってます。みんなのおかげで最後までやり抜くことができました。

今年の1、2月は割とマジで頑張ろうって思ってたけど、まじで完全に足痛かった、なぁみつき。なんならヘルニア気味、今。働いていけるか不安です。誰か養ってくれ。まぁとにかくごめんな。



このチームでひたむきで一生懸命でかっこいい人たちをたくさん見てきた。

たかとか大田とか名倉とか主務山主務太とか同期にも先輩にも後輩にもたくさん。

ひたむきな人を見ていて心配な時もあった。辛い思いしてるんだろうなとか。壊れちゃわないかなとか。

でも、そんな人たちがこれからも報われて欲しいって思うし、俺にはできない生き方だから本当に尊敬してるし、俺もそうありたかったなって思う。

一生懸命にやってるやつの方が100倍いいし。そんな人たちの頑張りを見て、「いやいやいや、俺マジでダサ坊だな」って思う。



でも後輩たちの中には俺みたいなやつもおるんかなとも思う。



色んな人がいるからこそ窮屈に感じる人もいるかもしれない。


みんながみんな理不尽とか苦しいことに真正面から立ち向かえる強い人間じゃないと思う。それでも立ち向かえって大人は言ってくる。


頑張れない時がある人もいる。「なんでもかんでもガムシャラに」なんて難しい。

人に当たってしまうことだってある。

一生懸命のほうがいいに決まってる、そんなの分かってても、心がしんどくなる人もいる。

心は強くても体が壊れちゃう人もいるだろうし。




「自分で選んで部活に入ってる」「辛いならやめればいい」「無理ならやめろよ」「就活に専念するならやめればいい」

サークルじゃない、体育会の部活。目標もしっかりと設定してある。

こんな声があって当たり前。なんなら、ないとおかしい。


まじでその通りだなって思う。いや本当に。迷惑だし。


けど、そんな「〜なら〜する」みたいな一問一答だけで人生を進められたらどれだけ楽なんだろうとも思う。


「しんどいから部活をやめる」ただこれだけのことの中にどれだけの悩みが詰まっていたんだろうか。今まで部活をやめていった人たち。

本当に、色んな葛藤があったんじゃないかと思う。

やめる決断をした人たちを尊敬している。


なにをするにも色んな方向から色んな事情がある。一問一答が複雑に絡み合っているから答えを出せないし、動けなくなる。

人間1人でここまで複雑なのに。

そんな人間同士が関わり合って生きていかないといけない。複雑な人間関係の中で。

難しすぎるよ人生。



どうしても「無理」「動けない」瞬間はあると思う。どんな人間にも。

だから「無理」「動けない」ってなった人に



「頑張りすぎんな」



って言いたい。

中学生の自分に伝えたい。このブログをここまで読んで共感してくれた人がいるのなら、その人に伝えたい。



この言葉に共感できない人。「ダセーな、俺は絶対にそうはならん」って思った人。言っていることが何もわからないって人は。このブログを読まなかったことにして、そのまま突き抜けていって欲しい。その方が何百倍も良い。かっこいい、まじで応援してる。



もちろん頑張れない人を正当化するつもりもないし、今までの自分も間違っていたと思う。

「しんどいな」ってなった時に「大教大サッカー部」ではなく「自分の軸」を常に優先してきた。

「曲がらない自分の軸」を「大教大サッカー部」にもっと近づけて傾けられたら良かったなって思う。

今までたくさん迷惑をかけてきた。最後の最後には取り返しのつかないことも。自分自身も辛い思いをした。

ぜひ反面教師にして欲しい。



こんなこと書いたらもしかしたら怒られるかもって思ったし、もしかしたら悪影響かもだし、周りから色々言われるかもとか思ったけど自分で決めて書きました。




この言葉を受け取るかどうかは自分で決めて欲しい。自分の軸で。君の人生だからね。




辛かったからしょうがないとかじゃなくて。

こんなやつもいたんだって知ってもらえたらと思ってます。



何人か、


けんたに。嘘ついてごめん。部活に入れたすぎて、

顧問がいない。練習は学生が考えている。走りは全くない。土日どっちかは絶対オフみたいな嘘をつきました。ごめんなさい。


あと、りくととなおき。引退試合見に行くから予定教えて欲しい。

なんかあったら言えよ。先に引退するわ。


あー、ゆーや君も。約4年間、いじめられてきました。正直楽しかったっす。

一生懸命な姿がめっちゃかっこよくて眩しかったっす。いやまじで。


やまだいくん。「寝れる時寝ときや」


かなちゃん。「これが大教サッカー部!」




楽しそうなお誘いいつでも待ってます。




同期はまた今度。いつか言います。多分。




まずは今までごめんなさい。そしてありがとう。最後にこれからも大阪教育大学サッカー部を応援してます。


後悔はないかもなー。反省はめっちゃあるけど、楽しかった。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


それではまたどこかで!



大阪教育大学サッカー部4回生 表俊介



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