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​歴史

​創部

 大阪教育大学サッカー部は、2015年度に創設100周年を迎えた。この節目は、1911年(明治44年)にサッカー部を創設した明星高校の『明星サッカー60年史』に記載された記録に基づいており、その記録によると、1916年(大正5年)6月4日、大阪教育大学の前身の一つである天王寺師範学校と明星商業が試合を行い、明星商業が4対0で勝利している。この試合の記録を基に、1916年を大阪教育大学サッカー部の創設年と定めた。

 

​ユニフォーム(ヤンチ)の起源

 私たちは「ヤンチ」と呼ばれる青・黒・白縦縞のユニフォームを着用している。この名前の由来は、名誉監督の入口豊先生の教え子の一人で、白血病で帰らぬ人となった大阪府公立高校の保健体育教諭、山内弘先生の愛称である。

 大学卒業後すぐに府下南部にある新設高校に赴任したヤンチ先生は、生活面で困難な生徒も多いその高校でサッカー部を一から創り、3年目で試合ができる人数まで部員を増やしていた。現役時代と変わらないすごいパワーを発揮していたヤンチ先生だが、結婚して二つ目の高校に転勤した直後に白血病を発症し、適合するドナーが見つからず、28歳の若さで亡くなってしまう。

不登校で退学処分寸前の問題生徒宅を毎日訪問して復学を実現し、無事に卒業させたり、自身の病気が悪化して回復の望みが無くなってしまった時期に、生徒たちにどうしても会いたいと担当医師に懇願して、数週間だけ高校現場に戻って教鞭をとったりと、生徒のことを誰よりも考えていた先生だという。

 葬儀の日には、赴任した二つの高校からの「ヤンチ先生」を慕う大勢の生徒たちの制服姿で沿道が埋め尽くされた。葬儀が終わって暫くしたある日に、ヤンチ先生のご両親から「息子がお世話になった大教大サッカー部のために寄付金を贈りたい」との申し出があり、そのお金でチームユニフォームをヤンチに新調し、今でも伝統として継承されている。

​伝統的な応援歌 ~双手~

双手(もろて)を捧げよ波立つまでも

白熱の力の限り戦わん

栄行く我らの力を誇らん

息も悶えぬ血潮汲みし勝利の

​双手を捧げん波立つまでも

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