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楽しいの先にあるもの


 こんにちは。創一から紹介を預かりました。

 

スポーツ科学専攻、4回生、上薗慶次郎です。

 

創一がドラえもんといわれていたことは知りませんでした。

しかし、それを言っているのがりゅうや、ゆうせいあたりであればおそらく何でも持っているからではなく、別の意味じゃないかと思います。おそらく。

 

2025年10月14日、サッカー日本代表がブラジルに3対2で歴史的初勝利を収め、日本中で話題となった。

日本代表が喜ぶ姿がテレビで映し出されているなか、一瞬だけブラジルベンチの落胆する様子が映りこんだ。

私は、この一瞬を見逃さない。なぜなら、ブラジル選手の気持ちが分かるからだ。

 

ヴィニシウス、そんな顔するなよ。ただの練習試合じゃないか。

 

この試合が行われる2日前、10月12日、上位立命館に3対1リードから大逆転を許した。この試合は、後3年間大教サッカー部で語り継がれる歴史的敗北となるだろう。

 

原谷の悲劇と名付けよう。こんな負け方あるんやな。

サッカーとは残酷なものだと思った。

 

きっとブラジル選手に負けないくらいひどい顔してたよな。

 

それでは本題へ。

 

少しだけ自分のサッカー人生をお届けします。

 

幼稚園生から18年間続けたサッカー。

今までサッカーをしてきて思うことは「楽しい」それだけだった。

 

小学生の頃は鹿児島県大会で優勝争いするような強豪チームに所属し、勝つことができたから楽しかった。

 

そこから中学校、高校では家から近い学校に通い部活に入部した。全然強くない学校だったが、同じ学校に通う友達と放課後に練習をするのがとても楽しかった。

 

 

そうして、4年前、鹿児島から大阪に引っ越してきて大阪教育大学サッカー部に入部した。

自分は、高いレベルでサッカーをしてきた経験がないから、大学サッカーのレベルの高さに驚いた。1回生の頃は、怪我も多かった。1,2回生はIリーグと関西リーグを行き来し、たまに試合に出たりゴールを決めたりしていた。

 

3回生ではほとんどの試合をスタメンで起用してもらいゴールも決めて納得のいくシーズンであった。

 

そして4回生。

原谷の悲劇が象徴するように今年は、苦しい1年であった。何度も負けを味わった。

 

今年こそは1部昇格するぞと意気込んで始まった新シーズン。

しかし、リーグ戦開幕前の練習試合では、格下の相手に負けることが多かった。

 

さすがにリーグ戦が始まったらチームの不調も解消されるだろうと思っていた。しかし、2対4で開幕戦に破れ、気が付くと前期2勝1分8敗という厳しい結果で終わっていた。

 

「キャプテン何してんだよ」

この結果を振り返ったとき、自分に何度もこう言った。

キャプテンである自分が一番頑張らないといけないのに。

 

みんな手を抜いているわけではない。全力でやっている。だけど結果は負けばかり。

 

どうすれば良いかわからない。

 

自分がもっとサッカー上手くてリーダーシップがあったら変わっていたかもなと何回も思った。

 

去年は、毎週日曜日の試合が楽しみで仕方なかった。試合後、星取表を見て順位上がったかなと見るのも楽しみにしていた。

しかし今年は、試合が来るのが怖くて、試合前日はあまり眠れない。また負けたらどうしよう、次負けたら降格が近づく、そう考える日々だった。

 

去年までは、絶対に自分が点取ってやると思っていた。

 

しかし今年は、誰でもいいから点取ってくれ、そしてチームが勝ってくれればいい。そう考えるようになった。

 

いつの間にか弱気になりサッカーを楽しめなくなっていた。

 

今までのサッカー人生では経験してこなかった感情が次々と湧き出てくる。

高校生までは、試合に負けてもあまり悔しくなかった。点を決めたらうれしかったが、大学サッカーほどではなかった。

 

大学サッカーの勝利は格別に嬉しいし、ゴールを決めた日には1週間機嫌がよくなる。

 

負けた日には、めちゃくちゃ悔しいし、すごく落ち込む。

 

試合の前の日は、自分の活躍する姿を想像し楽しみで眠れなくなる日もある。

また負けるかもしれないと不安に押しつぶされそうな夜もある。

 

今まで「楽しい」という感情だけでやってきたサッカーに対して、なぜか様々な感情が湧き出てくる。

 

大学サッカーを終えようとしている今、気が付いたことがある。

 

それは、今までで一番サッカーに向き合ってきたということだ。生活の中心にサッカーがあり、練習以外の時間もサッカーのことを考えることが多かった。松葉杖生活になっても毎日練習には行った。

 

今までこんなにサッカーに夢中になったことはなかった。今までこんなに熱狂した瞬間はなかった。

 

今までは、自分が一番サッカーを好きだと思っていた。

しかし大学に入学すると、自分よりもサッカーが好きでうまい人がたくさんいて。

この人達のおかげで自分も本気になれたんだと思う。

 

楽しいだけで終わっていた今までは、本気になれていなかったんだなと思う。

 

苦しんだこの1年を振り返ると、自分がサッカーのこと大好きで本気で向き合ったんだと思う。その自分を少しだけ誇らしく思うことができる。

 

本気になれたからこそ、楽しいの先にある不安や苦しみが出てきたのだと思う。特にこの1年間もがいた経験は、これから先の人生で直面する暗闇で輝く光になると思う。

 

 

 

同期へ

この4年間最高に楽しい大学生活を送れたのもみんなのおかげだと思っている。

楽しい時はもちろん、苦しい時も悲しい時もいつもみんなが横にいて一緒に乗り越えるこ

とができた。

ちーちゃんもみなみちゃんもサポートしてくれてありがとう。そして、一緒に騒いでくれてありがとう。

 

何十年後、大学時代を思い出すときは、きっとみんなの顔が浮かぶんだろうなと思う。

次の春で一時解散になるけど、俺の「集合しよう!」の合図でダラダラと集まってくれ。

 

後輩へ

3部降格させてしまってごめん。キャプテンとしてどうにか勝たせたかったけど、力が足りなかった。来年1年で2部に帰ってきてほしい。応援もいけたらいいな。

 

過信せず、いつも謙虚にそしてチームのために頑張れる人になってほしい。

 

 

両親へ

今までのサッカー人生で一番のファンでいてくれてありがとう。今まで18年間続けてきたサッカーもこの一試合で終わってしまいます。ここまでサッカーを続けさせてくれてありがとう。

 

高校3年生の引退試合、母がコロナになりその濃厚接触者として自分は試合に出れなかった。あの時泣きながら何度も「ごめん」と言ってくれたね。今でもたまに、あの時のこと後悔してるって言ってるよね。その時、本当に落ち込んでいなかったし、大学でもサッカー続けるって決めてたから全然気にしなくて大丈夫だよ。試合見に来るって聞いたときは、この出来事思い出させないくらい活躍してやるって意気込んでた。

 

父は、小学校のころからサッカーや塾の送り迎えをしてくれた。本当は、ラグビーをさせたかったみたいだけど、「好きなことをやるのが一番!」と言って何も言わず見守ってくれてありがとう。この前、海喜に「慶次郎のお父さん、慶次郎過ぎる」と言われ、いつの間にか姿もマインドも父に近づいていることに気が付いた。少しだけ嬉しくなった。

 

鹿児島から何回も応援に来てくれてありがとう。

前期の立命館戦でゴール決めたのを見せることができて本当に良かった。

 

 

最後に

 

この結果に納得はできないが、1年間やってきたことに対して後悔はない。

 

自分のすべてを出すことができたと思う。

 

不甲斐ないキャプテンについてきてくれてありがとう。みんなとサッカーできたこと、他愛のない話をしたこと、いろんなところに出かけたこと、すべてが自分にとって大切な宝物だ。

 

いつまでも大教サッカー部の応援団であり続けます。

 

明日は、チームのみんなの思い、怪我で悔しい思いをした完治、今まで応援してきてくれた方々、すべての人の思いを背負って闘います。

 

だから、最後みんなで勝ちをつかみ取ろう。そしてみんなで大喜びしよう。

スタンド全員を笑顔にしよう。ぶっちぎれ大教!

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

次は、来年大躍進を果たす大教サッカー部です。来年の活躍に乞うご期待!!

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