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サッカーがくれたすべての瞬間

こんにちは。スポーツ科学専攻四回生の古口創一です。

あいまんのブログにもある通り自分はかなり心配性で、忘れ物がないように部室に練習着の予備を置いているのですが、自分が使うことよりも誰かが使うことが多くあります。

最近ではみんなの忘れものをピンポイントで供給することから、

「ドラえもん」と呼ばれるようになりました。


無人島に一つ持っていくなら??の質問で創一と言われるように努力していきたいですね。


ピッチ内の人格については記憶すらないので、言われたことは基本スルーでお願いします。今まで色々とすみませんでした。


もう引退。16年のサッカー人生に終止符を打つことになりますが、実感がまだないです。

サッカーだけが人生の中心にあった生活から、そうではない生活へ。

これからどんな人生になるか楽しみな気持ちはありますが、やはり寂しさの方が強いです。


引退ブログということで今までの自分の人生について少しだけお話させていただきたいです。

今まで誰にも語ったことがない自分史。興味のある人はぜひ見てください。

興味ない人はメッセージだけでも読んでください、


みんなに比べて文弱なので拙い文章になってしまうかもしれませんが温かい目で見てください。


――――――――――

・小学校編

サッカーに出会ったのは小学一年生の時。

きっかけはサッカーに惹かれたというものもあるが、実際は友達を作るのが得意ではなかったため自分自身の居場所と個性が欲しかったから。そんな理由でサッカーを始めた。

今考えれば誰かに認められたい、褒められたいという承認欲求だったと思う。


それで地元の大勢が通っているサッカークラブに入団した。

低学年の間は体が大きかったため試合では戦車のように突撃していくだけのドリブルをしているだけの日々。


小学四年生になってコーチから中盤をやってみないかと提案をうけ


ポジションが「戦車」→「ボランチ」に変更へ。


ボランチに転向してからは技術不足、サッカーIQの低さが目立つようになり、小学校六年生まで地区トレセンには三年間セレクションで全部落ちた。

自分は特別ではないのだと初めて劣等感を抱いた。そんな時期だった。


同じチームだった人はわかると思うが、自分だけ倒れるまでよく走らされていた。

あの時は辛かったが、今となってはそれも愛だったのだと思う。



―――――――――――

・中学校編

一年生では一気に大阪府選抜まで合格。でもその次の年から全部落ちた。

しっかり見抜かれた。


過去のプレースタイルは戦車の経験を活かしたドリブラーかつラストパスマシーンだった。

今となっては面影もない。


学年が上がるにつれ公式戦出場回数が増え、仲間との目標である全国出場を達成するために戦った。

しかし勝てなかった。


負けず嫌いでもない自分が初めて心から悔しいと思ったし、何日も泣いた。

それだけチーム、仲間のことを愛していた。


あっという間に進路選択の時期がやってきた。


自分は勉強して、部活動でサッカーを続けていくのだと考えていた。

「プロとしてサッカーをしたい」と強く思っていたが、「選抜に落ちた自分ではなれない」とどこかで線を引いていたのだと思う。


夏の大会に敗退した試合の後に把握しきれないほどのスカウトがきた。


初めは混乱した。

他の人の方が優れているのになぜ自分に声がかかったのかわからなかった。


でも時間が経てば自然と諦めかけていた夢をまだ追えるという嬉しさだけが残った。


学校を休んで色々な地方まで練習参加しにいった。

公欠の味を覚え、「ちょっと俺カッコいいな、今頃話題かな」と思っていたのが恥ずかしい。


最終的には

Jユース・選手権二位の強豪校

の二択だった。


自分の性格的にJの下部組織よりも厳格な高校の方があっていると思っていたし、周りも思っていた。

でもJリーガーと同じ服を着て戦えること、高卒でプロになれることに惹かれ下部組織に入団した。

これが人生最大のターニングポイントだった。



――――――――――

・高校編

入団してからは劣等感を感じ、自己嫌悪を繰り返す日々だった。

外部生として強みをアピールしないといけないのに、レベルの高すぎる練習でダメな部分だけが露呈してしまう。


「ここで本当にやっていけるのだろうか」

自分の選択を後悔したが、応援してくれている人のため、プロになるためにもやるしかないと決意した。

そこから生活のほとんどの時間をサッカーに費やした。


それらが実りある時期に初めてAチームの練習に呼ばれた。

周りをみれば世代別代表ばかりでレベルが高すぎてビビりながら練習していた。

次の週ではしっかりBに落とされた。

でも確かに成長し、良いスピードで追いついている実感はあった。


ある日、練習での激しい接触で右足を捻った。


重度の捻挫。

焦りから完治していない状態でプレーし、また怪我を繰り返していた。

気づけば三カ月近くサッカーできていなかった。



あっという間にシーズンが終わり、来年こそはと意気込んだ二年生。

コロナ後明けから練習し、ポジションをサイドバック、センターバック、トップ下と点々としながらチームのスタイルと自分を合わせる日々が続いた。

成長を感じることができないまま、日々は過ぎAに上がった日から一年が経った。

後々プロになる後輩たちが台頭し、居場所がなくなっているのを実感していたが、

それでも!と気合を入れながら毎日を過ごしていた。


気合が入りすぎて誕生日にいつの間にか坊主になっていた。狂っていたのだろう。

同時期に寮で坊主が溢れかえっていた。

坊主たちで軍団を結成し全員の部屋に突撃したのはいい思い出だ。



三年生が引退し、ついに自分たちの代

今年こそは結果を出すと意気込んだ。

シーズンオフでも今までに比べ、身体を管理し挑んだ。

シーズン初めの練習は身体も軽く感じ、今年はいけるんじゃないかという感覚が自分の中にあった。


そういうときに限って不幸は起こる。

試合中に大怪我をしてしまった。


「グロインペイン症候群」


股関節の怪我。

主な原因は不明で、多くの選手を引退に追い込むような大怪我。

寝ているだけでも痛くなる状態で復帰時期は目途がつかなかった。


「なんで自分ばかり」


みんなは自分よりケアも食事の制限もしていないはずなのになぜまた自分なのか。

朝まで何日も苦しんだ。

でも悩んでいる姿、弱っている自分を見せたくなかったから、みんなの前ではいつも通りいじられキャラの自分であり続けた。


リハビリの時にサッカーしているみんなの姿を見ていると辛くなった。

寮に帰ってもサッカー後のみんなと生活するのも精神にかなりきた。


何か月もの時間が経ち、なんとかサッカーができる状態まで回復することができた。

これは当時トレーナーだった兄貴のおかげだ。あの人には感謝してもしきれない。


シーズンには遅れたが復帰し、ここからだと思いBの方で試合に出続けた。

自分のために、応援してくれている親、仲間のためにと常に自分を奮い立たせていた。



きっかけはわからないが段々と自分の感情に制御が効かなくなってしまっていった。



何をしていても楽しいと感じない。

食欲がない。

ご飯の味もしない。

夜に十分に寝ることができない。



まさか自分がそんな風になると思っていなかった。

誰にも相談できないまま、ついに限界が来た。



「なぜか涙が止まらない」



親に相談したときは「サッカーをもうやめてもいいよ」と言われた。

常に優しくしてくれた。

そのとき

「この人たちのもとに生まれてよかった」「自分は恵まれている」と心から思った。


その状態でもサッカーを続けることができた。

これは間違いなく応援してくれていた親のおかげだ。

両親に自分のプレーを全国大会、プレミアで見せたいという気持ちだけでプレーし続けた。


がむしゃらに日々を過ごし、毎回の練習試合も尋常じゃない覚悟をもって戦った。

するといつの間にかAの全国大会(クラブユース)のメンバー入りすることができた。

心も徐々に軽くなっていった。

評価があがったのが嬉しかった。

そこからクラブユースでは全試合に出場し、徐々にAチームの常連になっていった。


それがただただ嬉しかった。クラブユースを機に段々と信頼を勝ち取れていることがわかった。

サッカーはメンタルスポーツと言われる理由を実感した。

悩んでいたのも結局は自分の実力、精神力が未熟だったのだと感じるほどに成長できた。

そこからはなんだかんだ試合に出場し続けることができた。



ここでもまた怪我をしてしまう。何回目だろう。

右膝の内側側副靭帯損傷、半月板損傷、前十字靭帯部分断裂だった。

気づけば三年間でサッカーしている期間よりもリハビリの方が長くなっていた。

これを機にサッカーをやめる気でいたが幸い二カ月ほどで復帰できた。

これもまたお世話になったトレーナー兄貴のおかげだ。


復帰する頃にはやめる気持ちはすっかり忘れ、ウキウキでサッカーをしていた。

怪我で長い期間いなかったのにも関わらず、今までと変わらず試合に関わり続けることができた。


試合に関わり続けられていたからサッカーでの大学進学を考えるようになった。


大阪教育大学に決めるまで早かった。

自分が興味のある教員の勉強をしながらサッカーもできるということで

「自分にはここしかない」と思って進学した。


度々相談に乗ってくれたまさきくんありがとうございました。


――――――――――

・大学編

本題の大学編。


プロになりたいと思って入学した。 

入学して早々に驚いたことがいくつもあった。


部員の少なさ、練習にコーチがいない、練習メニューは学生で考えている。

今まで環境からはありえない光景だった。

本当に衝撃だった。


先輩に大学生は自主性が大事だと言われた時「大人だなー」と感じた。

数年でここまで自分の人間性が成長できるとは思えなくて少し悔しかった。


一回生、二回生の時期は本当に迷惑しかかけていなかったと思う。

試合に出られないと先輩に直接なぜなのかを聞き、ずっと不貞腐れていた。

今では本当に幼稚だったと反省している。

先輩方本当にすみませんでした。

後輩のみんなは自分みたいにならないように。



三回生

プロになる為にはここの学年が一番の勝負だと意気込んでいた。

この代での一部昇格が可能だと思ったからだ。

エース、キャプテン、副キャプテンとその他全てにおいていいバランスだと感じた。

実際にそのバランスの良さは試合の結果にも表れた。

開幕からの三連戦で三連勝。個人成績としては4ゴール関与。

これ以上ないスタートダッシュだった。この調子ならサッカーをもっと上のレベルで続けることができる。そう考え、ひたすら気合を入れていた。

首位攻防戦では負けたが前期の途中時点では上位に位置していたためここからチームとしても個人としても段々と仕上がってくるのだと感じていた。


しかし現実はそう甘くはなかった。前期の折り返し時点で中位に落ち込む失速をみせた。

個人成績も伸び悩み、チームの勝利に貢献できなかった。

後期になってもずるずると勝てない時期が続き、自分自身もさらに伸び悩む時期に入ってしまった。このままシーズンが終わると考えると思うと悔しかった。


迎えた最終節ではこれ以上にない負け方をした。

思わず泣いてしまった。

大好きな先輩たちとの最後がこんな形で終わってしまったことが悔しかった。

先輩たちからは来年こそはと託され、チームを引っ張る気持ちが芽生えた瞬間だった。



四回生

副キャプテンには自分から立候補した。ただ勝ちたかったからだ。

しかしシーズン前にまた右膝の内側側副靭帯を損傷した。

チームを形成する大事な時期に副キャプテンがいない。これは絶対にあってはいけないことだと考え、杖をつきながら練習・試合のサポートをしていた。

それでも試合に関することなどには全く力になれなかった。


「副キャプテンとしてなにかできているのか」と考えるようになり、何もできていない自分が嫌になっていた。


それと同時期に将来を選択する時期がやってきた。

サッカーか就職か。

この怪我きっかけにサッカーをやめる選択を考えるようになった。

引退の一番の理由は挑戦できるほど「サッカーを愛すること」ができなかった。

サッカー愛は才能の一つだと思う。

今まで心から楽しいと思っていたサッカーが年数を重ねるごとにそうでなくなり、徐々にボールが怖くなりつつあった。

もうここが潮時だと感じた。


怪我も治り迎えたリーグ開幕。

この代は強いと思っていたし去年も勝てていたから今年も大丈夫だろうと考えていた。

開幕戦はことごとく負けてしまったが、ここからが勝負だと考えていた。


甘かった。

前期終了時点で11位

副キャプテンとして情けない結果だ。

何をすれば勝てるのか、前期の映像を何回も見て考え続けた。

なぜこうも結果がでないのか正直わからなかった。

わからないなら目の前のことをやり続けるしかないと考えた。

練習でもチームとしての雰囲気を大事にするために動き続けた。


後期開幕

初めの方は上位相手にも勝ち点をなんとか拾うことができ、もしかしたらこのまま調子があがると感じていた。試合を重ねるたびにチームとしての力も増していった。

周りの方からも段々と良くなっていると言葉を頂き、このまま上手くいけば残留できると考えていた。


でも現実は残酷だった。立命館大学戦

サッカー人生でも一番悔しい負け方だった。

リードしている展開からアディショナルタイムに逆転弾、一緒に戦ってきた仲間が怪我による引退。

心がえぐられるようだった。勝ち切ることすらできない。

怪我で途中交代した自分を責めた。


その後も勝てない試合が続き、降格が決定。


後輩たちに合わせる顔がない。

今まで先輩たちが繋いできたものを自分の代で壊してしまった。本当に申し訳ない。

自分は試合で結果を出すことも、慶次郎を支えることもできていなかった。


でもこの期間で後輩たちに何かを残すことはできる。

サッカーへの姿勢、考えなど、まだまだ伝えたいことは多くある。

最後くらい副キャプテンとして模範的な姿勢をみせてチームを去ろうと思う。




――――――――――

メッセージ

・同期へ

遊びに誘ったら当日でも来てくれる会計なやつ

一般で入ったのにポンコツで先生、同期に心配されるやつ

声がでかくて完治と永遠と喧嘩するやつ

ダーツが好きすぎてマイダーツ買ったやつ、

筋肉に脳みそまで浸食され、クレアチン飲みすぎてるやつ

大人数の遊びに誘っても家の工事、親が来てるって断る続けるやつ

ラーメンのことを聞いたら100以上で教えてくれるやつ

マネージャー界の重鎮なやつ

何かしらの中心にずっといる主人公なやつ

アンダーグラウンドに沈んでいたやつ

ずっと温泉に浸かり続けているやつ


こんな同期やったから面白い大学生活を送れたと思う。ありがとう。

今までみんなで集まることほぼなかったけど、卒業して一回くらい集まろうな。

かいきがまとめてしおり作ってくれることを期待しとく。

あとキャンプ行こな。もしかしたらだいちくんも参戦するかも。


・後輩へ

三部に降格させてしまってごめん。

自分たちの学年が情けないからこの結果になってしまったと思う。一年で二部に戻ってほしい。応援いくし、差入れもする。

下の学年は少し心配な部分もあるけど、賢い人が多いから上手くやっていけるはず。

ここの大学がいいところは先輩後輩の距離感だから、お互いに意見を言い合っていいチームにしてほしい。

推薦組は一人でも欠けてはいけないと思う。

全員が引っ張る自覚をもってプレーすれば必ずいい方向に向かうから何があっても引っ張り続けてほしい。

後悔のないように頑張れ!!


昔の話、容姿(主に足腰)、ゲキサカのコメント、ピッチ内の言動などなどでいじってきていた後輩。

嬉しかった。なんならもうちょいほしかった。

あまりご飯に連れていくことができなかったからオフでいきましょう。

じゃんじゃん誘ってください。でっかいの開きましょう。



・マネージャーへ

毎回の練習に早く来て、一番遅く帰る。自分たちがプレーしやすい環境をつくるために動いてくれてありがとう。これからも支えてあげてください。



・コーチ、応援してくださった皆様

何もなかった自分からここまで成長できたのは本当に皆様の支えがあったからでした。

本当にありがとうございました。



・両親、姉へ

サッカーを続けさせてくれてありがとう。

サッカーがあったからこそあの幼少期からここまで成長できました。

中学、高校の時も何も言わず、挑戦を後押ししてくれて恵まれているんだなと感じた。

サッカーも毎回のように見に来てくれて自分のモチベーションになっていました。

本気でするサッカーはプロになれず、三部降格という悔しい形で終わることになってしまったけど、最後まで自分のプレーしている姿で楽しませたいです。


・最後に

自分自身のことばかり書いたため面白味がなかったかもしれませんが、最後なのでこういうブログにさせていただきました。このブログをみて少しでも後輩が来年のモチベーショ

ンにしてくれたらいいなと思っています。


これまで関わっていただいた皆様には心より御礼申し上げます。



このチーム、仲間で最後のサッカーができてよかったと心から思います。

ぶっちぎれ大教!!


拙い文章でしたが最後までお付き合いありがとうございました。





最後は皆さんお待ちかねの主将、慶次郎です!

お風呂に浸かりすぎて常にふやけている彼のブログは個人的に一番の楽しみです。

彼はどんな気持ちでチームを支えてきたのか。

長けた文章力で最後に心を震わしてくれることでしょう。

乞うご期待!!!!

ree

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