みんなが最高に好きだ
- 男子サッカー部 大阪教育大学体育会
- 11月6日
- 読了時間: 10分
こんばんは。
絶妙に嫌な紹介に預かりました。
サッカー部の中で「主人公」を務めております、4回の酒井完治です。
思えばこの4年間、本当に多くの経験をさせてもらいました。
おかげさまで、自分の話のネタに困ることなく、常に「旬の酒井完治トピック」でみなさんを楽しませ続けてきたことでしょう。
もしブログを読んで気になった先輩の方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。
ご飯行きましょう。
ただ、なぜか櫻本くんのほうが、僕のエピソードトークをうまく話すんですよね。
悔しさのあまり、最近は少し話を盛ってしまうこともありましたが、彼は生粋の関西人なので、もう諦めることにします。
さてさて。
まもなく長いサッカー人生も終焉を迎えます。 あと10日くらい?
おそらく、人生最大の節目でしょう。
今回のブログを書くにあたり、いろんな要望を受けました。
「感動系やろ」「暴露系いけ」「中途半端はいらん」「浅いこと書くな」――
あのー、うるさいです。
正直、何を書くか、何を書くべきか迷いました。
でもせっかく、引退ブログという“有終の美”を飾らせてもらえる最後の機会だからこそ、 これまでのサッカーをありのまま振り返って「感謝」を伝えることにします。
すっごく真面目な人間なので。
普段、「質」と「楽しもう」しか言わないけど、頑張ります。
では始めましょう。
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小学3年で始めたサッカー。
サッカー人生を振り返れば、いつも思い出すのは苦いことばかり。
単純にメンタルが弱いのだろう。
でも、「サッカーって残酷だな。」とも思う。
だって、願ったような結果になることなんて滅多に少ないし、ケガもする。
取り組みが成果につながるなんて全く分からない。
でも勝敗という結果がすべてを映すこの世界。
そんなサッカーを純粋に心から楽しめていたのは、小学校までだろう。
当時の僕は、スポーツメガネをかけたインステップキックを知らない頑張り屋さん。
(写真見たいとか言わないでください。)
コーチが空高く蹴り上げたボールを「オッケーい!!」とおーたゆーき並みの大声をあげながら、ヘディングし、ズレて視界を遮るスポーツメガネを修正する。
間違いなく、怖いもの知らずのディフェンダーになれた原点はここにある。
――
中学は、名古屋市内のクラブチームへ。
このくらいの年からだろう。
周りと自分を比較して、劣等感を抱き、自分が嫌になるようになったのは。
入団当初は、Bチーム。
圧倒的な実力不足だった。
「これなら、中学校の部活動でよかったやん。」――そんな現実。
まともにボールは蹴られないし、ドリブルができるわけでもない。
ただ頑張るだけでは、通用しない世界になっていた。
ただ幸いなことに、僕は負けず嫌いな性格だった。
そこから、公園でボールを蹴り続ける日々が始まる。
近所のお年寄りに怒鳴られる度に拠点を移し、なんだかんだ3年間。
気づけば、「自信を持てる今の左足」を手に入れていた。
――
そして、迎えた初めての進路選択。
ある高校に一瞬で恋をした。 藤枝東高校。
県内有数の進学校でありながら、
一歩校舎を出れば張り替えられたての人工芝グラウンド。
週末の試合を見に行くと、地域の人が大勢応援に駆けつけてくれる。
「なんじゃここ。」 完全な一目惚れだ。
けれど、当時の僕は決して勉強ができるわけではなかった。
小学校の頃から通知表に△をつけられ、姉から“おにぎり君”とイジられるほどに。
それでも、「ここしか行きたくない」という気持ちが実を結び、合格を掴み取った。
――
そして、期待とワクワクに胸を躍らせながら、高校入学を迎えた。
でもそこで突きつけられた現実は、思った以上にしんどかった。
入学から1年半、1番下のカテゴリーの常連メンバー。
TOPチームの練習を横目に走り込みする日々。すねが悲鳴を上げる。
1年主体のルーキーリーグにも出れない。
「もうダメだ。何をしに来たんだろう。」
そんな言葉が何度も頭をよぎった。
悔しさにも慣れてきて、どこかで“できない言い訳”を探している自分もいた。
それでも——
間違いなく、自分が求めていた環境がそこにはあった。
教室に入れば、黙々と机に向かうクラスメート。
ピッチに入れば、ひたすら高みを目指すチームメート。
「絶対に諦めない。やり続ける。」 自分で決めたことだから。
毎日必死についていった。
そして、高校3年時、晴れてレギュラーの座を掴んだ。
(人生最大の上振れ。間違いなく。)
志望校も明確に定まり、勉強にも力を入れた。
まさに入学前に掲げた理想の「文武両道」。
毎日がとんでもなく、充実していた。
だけど、蓋を開ければ——
どちらも自分の思い通りの結果が出せなかった。
最後の選手権。
1万人もの観客が詰めかけた最高の舞台。
ピッチ上に鳴り響く「VIVAシズ学」。
ルーキーの1年生がエースFWを封じ、躍動している。
その中で、自分は過度な緊張と実力の無さに打ちひしがれ、
ピッチの上で身震いしていた。
ビビり散らかしたプレーの連続。
これまでお世話になった指導者、親戚、仲間たち。
多くの人が応援に来てくれている中で、
情けなさすぎる姿だった。
悔しかった。申し訳なかった。恥ずかしかった。
でも、感じた1番の気持ちは——
サッカー選手としての「確かな限界」だった。
やり切った。もうサッカーはおしまいにしよう。
——そう思っていた。
――
そして、大学に入学。
でも気づけば、今こうしてサッカー部の引退ブログに着手している。
時が経つのは早いものだ。
入学当初は、ふとした瞬間に何度も思っていた
「上を目指せないのに、ここまでやる意味あるの?」って。
何度も言われた。
「いつまでサッカーやってんだよ(笑)」
サッカーが好きだから。
そう答えるけれど、心のどこかでその言葉を真に受けている自分がいた。
確かにこれまでは、はっきりとした目標があった。
「全国高校サッカー選手権に出たい」「プロになりたい」
そんな目標が、自分の最大のエネルギーだった。
でも、こうしてブログを書いている今、ようやくわかった気がする。
この4年間、サッカーをやってきた理由が。
——ちゃんとそこには、“理由”があった。
大教大でのサッカーが、たまらなく好きだったのだろう。
確かに、この4年間は勝てない時間や苦しい時期の方が圧倒的に多かった。
でもだからこそ、一つひとつの勝利やゴールの味が、たまらなく美味い。
そして、どの回生の時も、何よりもチームメートが好きだった。
このメンツと勝ちたい。
それが、4年間ずっと心の中心にあった気がする。
毎年の4回生が卒業するタイミングは、限りなく寂しいし、目頭が熱くなる。
常にそう思わせてくれる最高の先輩や仲間が大教大にはいる。
そんな仲間と一緒に、1つでも多くの味を噛みしめたい。 最後に良い思いをしたい。
その想いが、この4年間
自分を突き動かしていたのだろう。
——そして、迎えた最後のシーズン。
今年も「1部リーグ昇格」を掲げて挑んだ。
正直、真剣に“いけるんじゃないか”という期待感を持っていた。
でも、甘かった。 結果が出ない。
気づけば、降格の足音が近づいていた。
「降格だけはさせちゃダメだ。」目の前の試合で必死だった。
10月12日、立命館大学戦。
サッカー人生の終わりと、降格の危機が確実に迫っていた。
そんな中——前十字靭帯を断裂した。
この最後の時期に。しかも得意の対人で。 …いや、厳しいって俺。
倒れた瞬間、悟った。
「あぁ、もうサッカーできないだろうな」
久しぶりに味わう激痛の中、聞こえてくる相手の歓声。
失点したのだ。
担架でピッチの外へ運ばれ、横たわる中、
再び聞こえる雄たけび。
逆転を許したのだ。
頭が真っ白になった。
申し訳なさ、怒り、焦り——感情がぐちゃぐちゃだった。
最後の集合では、涙を流す仲間の姿。
久しぶりに、放心状態になるまでの悔しさだった。
「何であの内容で勝てないんだよ。」 「最後くらい、まともにサッカーやらせろよ。」
何もかもマイナスな捉え方をしていた。
でも、この怪我で、改めて思った。
こいつら。いい奴すぎるなぁ~て。
やっぱり、良いチームだなぁって。
このチーム大好きだなぁって。
インナーに背番号3を書き込んでくれるキャプテン。
円陣で何度も「完治のために」と声を上げてくれる同期。
「もっと一緒にサッカーしたかったよ」と言ってくれる後輩。
さすがの俺でも熱くなるものがあった。
膝の状態を考えれば、歩かず、安静にした方が良いに決まってる。
でも多少無理をしてでも部活には行こうというマインドになっていた。
(これまでの僕じゃありえません。)
この最高の仲間達との終わりがこんな終わり方が嫌だっただから。
残された時間くらい普通に一緒に過ごしたかったから。
今、みんなが思っている以上に、俺はこのチームが好きだ。
——そして今、そんなサッカー部としての時間も終わろうとしている。
練習で、みんなが楽しそうにサッカーする姿を見るたび、めちゃくちゃ羨ましい。
正直、今とてつもなく、みんなと一緒にサッカーがしたい。
でも、この想いを晴らせる時はもうやってこない。
だからこそ、最後くらい2勝して終わりたい。
同じピッチには立てないけど、一緒に喜ぶことくらいはできるから。
最近、星之介のBadモード入りすぎやなぁ〜とか(笑)
たかは、もっと楽しそうにサッカーしてほしいなぁ〜とか。
創一、最近抑え気味な自我、最後見せてほしいなぁ~。 とか色々思う。
あ、旺ちゃんもっと点決めろや。得点王なるんやろ。
まあ、最後みんなでやり切ろう。
本気で、大教大サッカー部に入って良かったと思ってる。 シーズンラスト頑張りましょう!
充実した4年間だったなぁー。
いやー。なんか夜にしんみりソング聴きながら書くもんちゃうわ。
らしくない文章になってしまった気がする。
歌の力あっぱれ。
さて。そろそろ締めますか。(朝が近づいているので)
――
同期のみんな。
みっちゃん激おこチキチキレース。
あいまんと海喜の前での圧倒的に屈辱。
永遠のライバルやまだい。(言ってあげてるだけ)
こぐさんありきのキャンピング。
琉矢との公私にわたるタッグ戦。
まだまだあるけど——。 何回腹抱えて笑ったことか。 最高の想い出ができた。
これからはそれぞれの道を進むけど、また集まろう。
幹事は主務みつ。会計はタクさん。これくらいは、ずっと継続でいこか。
みんなで最後、勝って終わろう。最高の“上書き”をしようぜ。
(あ、やべ。怒られる。)
後輩たちもありがとう。
完治君と「君」をつけとけば、ほぼ何でも良いと思ってるきみたち。
みんな大好きだ。
4回として、試合に出ている身として、
2部の舞台を残せなくて、本当にごめん。
メシいこーぜ。って言ってくれた人。
あまり覚えていないので、また連絡下さい。一緒に行こう。
そして、
一番感謝を伝えないといけない家族へ。
未だ22歳になっても直接が恥ずかしいので、ここで言わせてください。
これまで、自分に好きな挑戦をさせてくれてありがとう。
成人式の前夜、「藤枝東に行きたいと言ってくれたことが嬉しかった」と涙ながらに言われた瞬間、どれだけ自分が幸せ者なのか知りました。
何の実績も実力もない中、高校から親元を離れるなんて無謀でしかなかったと思う。
でもあの時、背中を押してくれてなかったら今の自分もないと思ってます。
ファミリー共有のギガを使いすぎて、家族みんなを低速にさせたり、自分から全然連絡せず、生存の心配をされたりとどうしよもない末っ子やったと思うけど、ここまで大事に育ててくれてありがとう。
最後は、「大教の残留」と「最後2人に自分のプレーを目に焼き付けてほしい」
その2つがずっとモチベーションでした。
最後があんな形になっちゃってごめんね。
この最後の悔しさをどこかしらで晴らそうと思ってます。
サッカーすることあったら、ぜひ見にきて下さい。
最後に
これまで関わってくれた全ての方々にも、心より感謝申し上げます。
指導してくださった監督・コーチ、共に戦ってきた仲間、そして見えないところで支えてくださった皆さま、本当にありがとうございました。
うわー、もう朝練はじまるて。
今日は早めに行こうかな。準備します。
拙い文章、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
またどこかで会いましょう。
では。
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さあ、次はみなさんお待ちかね。
「計画性」という伝説のブログを書き残した男。
アイマン君です!!
自身の時間を無駄にしてしまっている気がしていた下級生の頃の彼。
今はどんな生活を送っているのでしょうか。
どんな覚悟があるのでしょうか。 楽しみです。
乞うご期待を❗️




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