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忘れてはいけないこと

こんにちは。こんばんは。

みっちゃんからご紹介に預かりました。

大阪教育大学教育協働学科数理情報コース、ジャックナイフこと、山本海喜です。

 

ジャックナイフという異名は、遡ること2年前。東京遠征1日目、偉大なる田中博貴先輩に命名されました。そこからは、言わずもがな。ジャックナイフ後継争いが始まりました。りくと、群青。どっちがジャックナイフになるのか….

 

 

そんなことはさておき、早いもんで4回生になり、引ブロを書く時が来ました。去年のブログではやまかいの処女作「柏原山海八犬伝」を書き下ろしたのですが、世に発表される前、櫻本からGOサイン降りず。惜しくも世に発表することは叶いませんでした。

 

見たい方はやまかいまで。

 

今年のブログは3部構成になっております。

 


  1. 山大編(前菜)

  2. ジャックナイフ編(メインディッシュ)

  3. 終わりに(デザート)

 


フルコースとなっております。(怪談レストラン見てた?)


読了時間が長過ぎて驚いたそこの貴君、驚くことなかれ。


山大編は劇場版です。本編には影響しないように作成しておりますので、ご自由にスキップしてください。本編は2.ジャックナイフ編からのスタートとなります。少し漢汁が染み込みすぎて、字が読み取れなくなっている部分があります。読むのをやめるならここで止めることを勧めます。この文章を読んでいる貴君には薔薇色のキャンパスライフを送っていただきたいのです。


まとまっていない文章にはなりますが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

だが、途中退席は認めない。

 

  1. 山大編

 

同じサッカー部に山本大地(以下、山大)という漢がいます。

彼とは小学校4年から大学4年の現在までずーっと一緒のサッカーチーム、高校、大学でした。

これ、本当にあった怖い話ではないです。兄弟?とか仲良かったん?とかよく聞かれるのでここで山大とのお話を少し。

 

出会いは、RIPACEというサッカーチーム。そこから中学3年生まで同じチームで一緒。高校では、お互いどこ行くかわかってなかったんですけど、X(当時はTwitter)で山大が鳳に行くと知った記憶があります。(#春から鳳)

 

彼は小学4年から中学3年までずっと真っピンクのユニフォームに袖を通し、キーパー手袋を着用するという正ゴールキーパーコスプレで6年間サッカーをして過ごしていました。幻だったのか、定かではありませんが、今は生粋のFWとしてベンチに待機しています。(もっとゴール決めてくれえ)

仲が良かったのかと聞かれれば、残念ながら残念でしたというほかならないのですが、思い出としては中学のJグリーン合宿での枕投げ合戦にて、彼の投げた枕が山海に被弾し、出血した記憶があります。彼はその後も反省の色を見せず枕を投げ続け、防弾ガラス(弾丸をも防ぐ)を割ってしまい、弁償していました。今と変わってないです。彼は武勇伝の如く、意気揚々とお話しするでしょう。

 

 

そこから高校生になり、キーパーコスプレを脱ぎ、フィールドプレーヤーとして、「戦車」という異名で恐れられ、大阪4部で名を轟かせます。(”戦車”は僕がつけました)

高校時代の山大少年の事件といえば、大きく3個挙げられます。

  1. 入部早々3年生の大先輩に○ね発言で喧嘩

  2. 2年生の頃、先輩引退試合(僕らの代 vs 先輩の代)のPK戦において、初め3人の先輩のpkシュートをとめ、引退させる。

  3. 最後の遠征、寝坊で朝の散歩に間に合わず、会場まで走って移動。

などなど、多くの爪痕を残していました。詳しく聞きたい方は、山海まで。事実と歪曲してお伝えします。

 

そこから大受験戦争時代に移ります。僕は大教大を目指して奮闘していました。それから苦い汁(漢汁)を何度も吸い、共通テストを終えたある日、一本の電話がかかってきました。Daichiからの着信です。

 

山大:「もしもし」

山海:「どした?」

山大:「かいきって大教大のどこのコース受けるんやったっけ?」

山海:「数理情報コースってとこやで」

山大:「俺もそこ受けるわ」

 

こんな形で、大学も同じコースに進学することを知りました。大学でも同じサッカー部として、4年一緒に過ごすことになりました。大学での事件は言わずもがなです。彼は生粋の闘う漢なのです。

 

社会人からはやっと山大の呪縛から逃れることができました。(多分)嬉しさ半分、喜び半分といったところでしょうか。卒業後も虫おらん時期(山大はいわタイプのため相性×)、キャンプ、サーフィン行きましょう。これからもヨロピク。

 


  1. ジャックナイフ編

 

ここからが本編。真面目に話します、自分なりに。

 

たくさん、まさ、山大、みっちゃんのブログを見て、熱いな、惹きつけられるなと、広報班の特権で、一足先に見て感動していました。引退が惜しいぜ。


 

先に言っておきますが試合に出られなかったけど、出ることができた、または出られるようになりたい、みたいな感動シンデレラストーリー自分持ってないです。割と試合は出させてもらっていました。

だから自分なりの抱えていた悩みを話そかな。

 

 


「チームのために」

 

 

私生活の自己主張は強いものの、サッカーでは控えめだった自分。

同回とか2.3回生は3回の途中ぐらいまでの山海を思い出してもらうと想像しやすい。

試合時間残り10分とかで、出場し淡々と、そして静かにサイドレーンでドリブル、ジャックナイフをしては怪我をして、はたまた「ジャックナイフや!」と言われ、怪我をして。ジャックナイフという異名が一人歩きをしていました。

 

練習中とかも全員に対して盛り上げる声とか出せず、先輩とかあいまんとかが出す声を聞いて、「オッケー」ぐらいしか言ってませんでした。それも言ってなかったかも。

 

このころ抱えていた悩みが、「俺が一言言ってもなんも変わらんやろ」「自分の声は11人には届かん」「チーム負けたけど、途中出場やしおれは良かったし、あんま悔しない」的な、The自分のためにサッカーをしている考えで日々の部活動を過ごしていました。

やから試合に負けても、「俺は良かったけどな」「負けた感じしやん」とか思ってた。

怪我した時も、「悔しいけどまあ就活とか勉強力入れれるしええか」、くらいあっさりしてた。試合中も、中盤で変な奪われ方してカウンター喰らって、全力ダッシュで戻ったが「はよ戻せよ」と先輩に言われ、心の中で、だまれへたくそ。と鎌田大地みたいな考えを持ってても何も言わず、心にしまっていました。


チームスポーツ。思っていることをたがが一人。ましてや、エースとかなんでもないやつが言ってもどーせ変わらんと勝手に決めつけて、思っていることを主張できない、という悩みを抱えていました。もちろんそん時はこんな悩みを抱えてるとは思わず、これが正解と思ってやってました。

 


転機は二つ三つあるかな?いやもっとあるかも。

去年の天皇杯公立大戦。三年目にして公式戦初ゴール。かなとくんとかたかとかそーいちとかけいじろうが走ってめちゃ喜びに来てくれたこと。(前半で温存交代したのに次の試合ベンチ外という伝説の試合)関福でやった試合で、あいまんにお前がやらなあかんねんぞ的な言葉を言われたこと、松原先生と上裸のまま1時間くらい経ったまま話したこと。


俺ってなんのために19年もサッカー続けてきたんやろ。

ドリブルして相手抜いて、気持ちよくなるためにサッカーしてないやん。

試合勝ってチームメイトみんなで喜び合うの好きやから、それが楽しいからサッカーずっと続けてきたやん。





19年もサッカーやってて、忘れてはいけないことを思い出した気がした。



 

 

そこからマインドが変わっていった気がします。チームのために、思うことはストレート(時にはスライス、またはフックぎみ)に言えるようになってきました。

 

 

気づけば、自分のためにやってたサッカー、ドリブルが、「チームのために」へ変わっていっていきました。自分のためにやるサッカーもいいけど、チームのためにやるサッカーもっと楽しいし、ワクワクする。

 

マインドが変わると、見えてなかったことまで見えてくるようになって、慶次郎とか「こいつこんなチームのために声出してくれてる」「自分犠牲にしてまで」とか、健太はたとえ自分が調子悪くても、チームのために声めっちゃ出してくれてるとか、他にも多くの選手がチームのために行動していることに気づけた。自分にかかってた負のフィルターが外れて、薔薇色になっていく感じがした。

そこから自分もチームのためにやらないと、って思えるようになった。健太とかたかとか最上回生じゃないのにチームを引っ張れるような声を出せるのほんま尊敬でしかないです。自分も真似します。

 これは回生とか試合に出てる出てないは関係ないと思います。

みんなには練習中とか試合中、どんどん声を出していってチームを自分色に染めていってほしいです。




今季はなかなか勝てず、苦しい状況が続きっぱなしなシーズンでした。ほんまに勝たれへん。

 ただ心の中で嬉しさとワクワクをほんの少しだけ感じてる自分もいました。それは1.2.3回の頃と違う、チームのために戦い、チームの結果を自分ごととして考えれるようになったからだと思います。チームスポーツ最高やね。

 

 だからこそ、勝ちたいし、みんなで喜びたい。わいわいするの好きやし。(こっちが本命)

 

残り3試合、奇跡が起こらない限り、降格からは逃れられませんが、降格が決まったとしても全力でチームスポーツ、楽しんでやろうじゃないか。だから残り少ない時間、情けない4回生についてきて欲しいです。3試合、全員で戦ってチーム和ークを見せてやれるように頑張ります。





  1. 終わりに


今年で19年続けたサッカー人生に幕を閉ざすことに決めました。

これまでのサッカーで出会った仲間は人生最高の財産です。ありがとう。


家族へ

19年間いつも支えてくれてありがとうございます。小学生の時の始発で座ってた冷たいベンチ、途中出場で出て3分で交代させられた自分を見て、今でも自分ごとのように悔しがってくれること、試合を見てパワーもらえると言ってくれること、試合会場めっちゃ遠くて行かれへんかもって言っても、なんとしてもみにきてくれること、自分の進路選択を尊重してくれたこと、サッカーを始めさせてくれたこと、サッカーを続けさせてくれたこと。ここに挙げられへんくらい思い出いっぱいです。感謝しかないです。これ以上は、家で直接伝えよかな。直接言葉にして伝えれるようになりました、実家おるし。これまで育ててくれてありがとうございました。



後輩へ

全然先輩できへんかったけど、かいきくん言ってくれてありがとう。けいすけはたまに呼び捨てやったな。毎日挨拶しに来てくれてありがとう。一対一いっぱいやってくれてありがとう。筋トレ教えてくれてありがとう。ダル絡み付き合ってくれてありがとう。塩分チャージ2個持ってきてくれてありがとう。全ての黒虎メンバーズにありがとう。来年は僕らのせいで3部で戦うことになるかもしれないけど、全員上手いから大丈夫やと思います。陰ながら応援してます。




最後に同回へ

4年間ほんまにあっという間やった。このメンバーやったからやと思います。めちゃ早口なやつ、夜の帝王、ずっと口答えしてうるさいやつ、温泉好きな筋肉ゴリラ、ラーメン麻雀競艇パチンコ好きなやつ、後ろからのっかかってくるやつ、ずっと素振りしてスイングの確認してるやつ、ニッケル好きやったのに学歴ロンダリングしたやつ、いつも早くきてサポートしてくれて最後までチームのために働いてくれるやつ、マウスピースで新庄剛志ぐらい歯白いやつ、キャンプグッツいっぱい持ってるやつ、毎日スタバ行ってるやつ。癖強いやつ多いって。この回生が大好きです。

あんまり回生の集まりに参加できていないので、(誘われていない説もある)僕が企画します。ご飯いきましょう。





これで最後です。悲しいよ。


2026年も山海といい船を降りることはないので、またどこかで会いましょう。


最後まで読んでいただいてありがとうございました。


次回のブログは....

なんでそんな審判上手いん??鋭いキックが持ち味の両利きイケメンゴルファー栢原悠聖です!!

乞うご期待!!

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