最近縁あって柏原市のとある中学校の教育活動にかかわらせてもらっているのですが、中学生というのはいろんなタイプの子がいるなぁと感じます。教室に入ると嬉しそうにこっちを見てくる子、全体ではそっけない態度をとるのに近づいて話すととてもうれしそうにしている子、見つけたらどんなに遠くても声をかけてくれる子、クラスでは静かなのに部活になると変わったように元気な子、私に対して失礼な態度をとった瞬間に謝る子、「みんなちがってみんないい」金子みすゞさんの同様にある言葉ですが、本当にそうだなと感じる今日この頃、引退という2文字が目の前にあることにうれしくもあり悲しくもあります。
おはようございます
大阪教育大学4回生の大須賀匠です
私は幼稚園から計18年間サッカーを続けてきたわけですが、その中でもこの大阪教育大学での4年間はそれまでの14年間と同じかそれ以上にしんどくつらい時間であったと思います。
私は幼稚園の年中のころ、大阪に引っ越しをし、そこでその幼稚園のサッカーチームに入りました。その頃の記憶は全くありませんがそのころから一つのスポーツを続けてきたかと思うと自分のことながらすごいなと思ってしまいます。
小学校では、地元のクラブチームに参加しました。
そのチームは全国レベルというわけではなく、地域大会を突破できるかどうかというチームでした。ただ、そこで同じ小学校ではない仲間もたくさんでき、サッカーが楽しいと思えるいい時間でした。
中学校では、部活動でサッカーを続けました。
小学校のチームの仲間は地域のクラブチームのセレクションを受けたりもっとサッカーを極めるべく努力をしていましたが、学業のことも考え、部活動でサッカーを続ける選択をしました。その中学校では、サッカーのコーチはおらず、選手たちを中心に日々努力をしてきました。一つ上の先輩の代で初めて地域大会を突破し、大阪大会に出場することができました小学校から目標にしていたJグリーンのピッチで試合できるということがとてもうれしかったのを覚えています、大阪大会出場という私の中学校での歴史上初の快挙を成し遂げましたが、結果は一回戦敗退。自分たちの代では市内の大会で優勝、と決してすごいわけではないが結果を残して楽しいサッカー人生を送ってきました。
高校でも部活動でサッカーを続けました。
顧問の先生はサッカーに関しては無知であり大阪4部という低いレベルではありましたが、自分たちで戦術やメンバーを考え日々練習に取り組みサッカー人生を楽しんできました。
大学に入り、サッカー部に入部し、初めは4年も続けられないかもしれない、けど、ここまでやってきたサッカーを続けたい、そんな中途半端な気持ちでまず1年と頑張る決断をしました。一年生で周りの先輩や同級生のレベルの高さに正直驚きました。こんなレベルの自分が一緒にサッカーをしてよいのか、先輩のために、チームで迷惑をかけないためにその一心で練習をしていました。なんとか先輩に食らいつく状態で1年生で出た公式戦はBチームの試合であるIリーグの1試合だけでした。1年生が終わって感じたことは、自分の無力さと、トップチームのレベルの高い試合や雰囲気を直に感じこのレベルまでは厳しいかもしれない、けど、自分が好きでやり続けてきたサッカーを残りの3年間で極めたいと思うようになりました。それからは、日々の2時間の練習を自分のために大切にするようになりました。自分は周りとはレベルははるかに違う、それを自覚し、迷惑をかけないようにサッカーをするのではなく、自分のレベルを上げるということを意識するようになりました。また、昨年のブログでも書きましたが、「情けは人のためならず」という言葉を胸に、プレー以外の面でも周りのことを考えて行動するようになりました。
ただ、3年生の夏、私は怪我をしてしまいました。病名は前十字靭帯断裂、1年はサッカーができないといわれました。Bチームのスタメンにも入れない状態で、この試合から変えてやるという気持ちで挑んだ試合で怪我をしました。夏明けには教育実習もあり、これから部活も学業も一層本腰を入れていこうという時期でした。今までおおきな怪我をしてこなかったため、けがをした自分を受け入れられませんでした。サッカーが原因で怪我をし、サッカーができないことはもちろんのこと、普通の生活もままならず、日々ストレスを感じ、サッカーのニュースを見るのもいやになりました。入院中はできる限りサッカーに関する情報を入れずにいました。本当に苦しい時期でしたし、初めてサッカーが嫌いになりました。もう、サッカーはしてはいけないそういわれているような気がしていました。
リハビリをしている中で自分は何のためにリハビリをしているのか、今この時間に意味はあるのかそんな気持ちでした。
術後1っか月の通院の時病院の待ち時間が長く、その時に怪我をしてから初めてサッカーの映像を見ました。それは、けがをした試合の動画でした。その動画を見て、当時、自分はその試合から変えるんだと決意したこと、4年間サッカーを極め続けることを決意したことを思い出しました。
あと1年、できることをやろう、今まで、やり続けたサッカーを最後までやり続けよう、結果は残せないかもしれない、あそこでやめとけばよかったと後悔するかもしれない、けど、やってみよう、もし失敗したなら、それを今後に生かせばいい、後悔したならそれを次に活かせばいい「大事なのは結果じゃなくて過程」そんな学校の先生みたいなことを自分に言い聞かせてこの一年頑張りました。
4年間でたくさんの人に迷惑をかけてたくさんの人に支えてもらいました。先輩、後輩、先生、コーチ、マネージャーそして同期の仲間たち、本当にありがとうございました。
私は幼稚園から計18年間サッカーを続けてきたわけですが、その中でもこの大阪教育大学での4年間はそれまでの14年間と同じかそれ以上に楽しく、有意義な時間であったと思います。
怪我をしたことを含め高校までのサッカー人生では考えられないほどの経験をさせてもらいました。この経験を活かしこの先の世界でも頑張っていきます。
サッカーにかかわるすべての人に幸せが訪れることを祈り、このブログを閉めたいと思います。
拙い文章でしたがここまで読んでくれてありがとうございます。
次はアウトの名人
プレーでもプレー以外でも部活をかき回す
俊足の彼は最後に何を語るのか
気になりますね
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