4回生 藤田渚
こんにちは。
教育学部 教育協働学科 グローバル教育専攻 多文化リテラシーコース4回生の藤田渚です。(言いたいだけ)
4回生唯一の真面目人間なので、そのキャラに見合ったブログを書こうと思っていましたが、ただの「おもんな引退ブログ」が出来上がってしまいました。ほんでぃーに馬鹿にされる姿が目に浮かびますが、プレーで黙らせます。サッカー選手なんでね。
そんなこんなで、大教サッカー部の引退日が3週間後に近づいていると共に、自分自身の4歳から続けてきた18年間のサッカー人生も終わりを迎えようとしています。長い期間サッカーを続けすぎてしまい、引退に対して、あまり実感がありません。
引退したら1日中ソファーでドクターペッパーをがぶ飲みして、好きなアイスを好きなだけ食べることができると考えると悪くないのかもしれんなーとか思っています。お話にならない(越元)。
前置きはこのくらいにして内容へ。
今後の人生でブログを書くことは無いと思うので、これを機に、今回の引退ブログでは、自分自身のサッカー人生を振り返ってみました。とてもとても長い文章なので、暇な人は読んでみてください。
けど、若干俺のことを舐めている拓美と、完全に舐めている海喜は絶対読むように。あと暇人の岡平陸輔と、オレンジ坊主の中川奏翔も。
振り返りパート
僕は、大都会愛知県名古屋市で生まれ、4歳でサッカーを始めた。きっかけは、通っていた保育園の園庭にサッカーゴールが設置されていたことだった。
保育園では、他の遊びには目もくれず、朝から晩までサッカーをしていた。お陰様で、4,5歳にして全盛期、キャリアハイを迎えてしまった。U-5日本代表たるものがあれば、きっと10番トップ下だっただろう。マクドナルド杯という大会で20点くらい決めた。まさに神童。小学校に上がるタイミングで、保育園の流れで三日月クラブという近所のクラブチームでサッカーを続けた。毎週練習後に行われるリフティングテストのために、毎日リフティングと遊戯王とイナズマイレブンに没頭し、6年間を過ごした。
中学校3年間は、フェルボール愛知というチームに所属し、レベルの高いチームメイトと共に練習、試合を繰り返す生活だった。中学校3年の時には、公式戦には20分しか出場できなかったし、クラブユース全国大会もベンチに入れなかった。試合で勝つためというよりは、チームメイトに勝つためにとにかくもがいた。サッカー人生の中で1番練習したと思う。それでもチーム内の競争に勝てなかった。
だけど、「今日の練習に全力を尽くせない選手が、夢ばっか語んな」と言ったコーチの言葉や、チームメイトと苦楽を共にした日々、眉毛を細く剃ってコーチに怒られていた成瀬秀真の姿は、今でも自分の財産で、原動力となっている。
大学生になった今も、様々な舞台で頑張っているチームメイトの存在が刺激になっている。自分にとって、大切な時期だった。
高校3年間は、サッカーと勉強に打ち込んだ。
朝練をし、授業を受け、午後連をした後にBONBONという自習室でぼーろ(小池涼泰)と、テスト勉強という体でサッカーの動画を見漁るのが1日のルーティンだった。高校生活の甘酸っぱい青春は、ユリアンヴァイグルとアスピリクエタのプレー集で埋め尽くされてしまったと言っても過言ではない。
しかし、高校3年の4月に前十字靭帯断裂の大きな怪我を負った。受傷、手術、リハビリで過ぎ去ったこの時期は、1番辛く、1番長く感じた。総体も選手権も、チームは県ベスト8の壁を越えることができず、思い描いていた結果は得られなかった。何よりも、自分がそのピッチに立つことすらできなかったことが悔しかった。ピッチの中で、哲大がダブルタッチをし、新田航士がベンチプレスをしている姿が羨ましかった。
この経験から、「大学サッカーで悔しさを晴らそう」と選手を続けることを決めた。勉強は高校サッカー引退後の12月からオーバーラップ(インナーラップ)し、センターリサーチE判定からの逆転合格と、男子校生活で拗らせた女性への苦手意識を掴み取った。
・名古屋からなるべく近い。
・国公立。
・サッカーに力を入れている大学。
3つの条件が重なった大教に進学した。
大教に入学して、大教サッカー部に入部して4年。
自分の大学生活のすべてがサッカー部で形成されていた。普段の練習、週末の試合だけには留まらず、授業も、学食も、休みも、サッカー部のみんなと過ごしていたと思う。
「長期オフの日もNIKEのアプリで走らされたな」とか、「グラウンドが使えない時にみんなと河川敷でサッカーしたな」とか、そんな日常の些細な出来事が、思い出となって積み重なっているということに振り返って気付く。本当にどの瞬間も楽しかった。この日々が戻ってこないと考えると寂しくもある。これが引退か。
そんな生活の中でも、試合の時が1番楽しかった。納得できるプレーができた時、味方が点を決めた時、勝って試合終了のホイッスルを聞いたとき、日常生活では到底、味わうことができないような感情になることができる試合が好きだった。
前期最終節、神戸学院大(1-0)は本当に最高だった。ゴールを決めた瞬間は今でも鮮明に覚えていて、一生忘れることはないと思う。竜誠ナイスパス。やっぱやれるやん。(あと部活来い)
そんなこんなで、あっという間に大学4年間は過ぎていった。「引退までは一瞬やで」と言っていた先輩の言葉の意味が分かるようになった。それでも楽しかったからまーいっか。
サッカー部があったから、大学生活は楽しく、充実していた。ありがとう大教サッカー部。
あと少しの間、よろしくお願いします。
感謝パート始まり
先輩へ
お世話になりました。時には、お叱りの言葉も頂きましたが、それでも僕たちをかわいがってくれた先輩方には感謝の気持ちしかありません。熱い姿をありがとうございました。ご飯行きたいです。特にクオッカ、わっしょい。
後輩へ
自分が後輩に偉そうに語れることはありません。「なぎさくん、なぎくん」と絡んでくれてありがとう。来年からも頑張ってね。あと少し、意地見せます。
※広報班の引継ぎはちゃんとやります。
同回へ
ここでは語り切れないほどの感謝や思い出、面白い話があります。あるよね?
引退したらみんなでご飯行こうね。まじで行けたら行こうね。
家族へ
母
まずは、サッカーをここまで続けさせてくれて、応援してくれてありがとう。
仕事で疲れているはずなのに、応援や送迎などをしてくれたことには頭が上がりません。
これからゆっくり親孝行していこうと思っています。本当にいつもありがとう。
残り3週間、後悔を残さないように頑張るね。
あと、バケットハットを被って応援に来るのは勘弁してください。サッカー部内でいじられています。
祖父母
イエローカードもらったことを馬鹿にしないでください。
パソコンの壁紙もスマホのロック画面もサッカーをしている僕にしてくれるのは、恥ずかしいけど嬉しかったです。
18年間、応援してくれてありがとう。
弟
何だかんだ応援してくれてありがとう。これからどのように過ごしていくのか知らないけど、最低限度の学力と常識と根性を身に着けてください。母がいつも頭を抱えています。
ま、これからも仲良くしようぜ。兄弟。あとFIFA練習しといて。相手にならんから。
感謝パート終わり
とても長くなってしまいましたが、最後まで読んでくれた方、本当にありがとうございます。大好きです。
自分自身も今回のブログの作成を通して、サッカー人生を振り返る貴重な機会を得ることができました。これらの経験を基に、次のステージでも楽しく頑張ります。
そして何よりも、残りのリーグ戦を全力で戦います。応援してくれている人たちのために、仲間のために、自分のために、やれることは全部やります。大学サッカーは笑って締めくくります。
ぶっちぎれ大教。ぶっちぎれ渚。
次のブログ担当者は、ほんでぃーこと(4年生 本多海渡)です。いつも2人組組んでくれてありがとう。ニコイチ。悟空とベジータ。関西人らしい面白ブログ書いてくれるんだろうな。期待しています。
以上です。ありがとうございました。
残り3週間も熱い応援をよろしくお願いします。
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