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これは報われるおとぎ話

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大田、紹介ありがとう。今度原付のかごに安いスポドリいれとくわ。


 フォニックスこの名前に覚えがある方はもしこのブログを読んでくれた場合DMお待ちしております。4回生小中保健体育コース髙田裕介です。


 周太朗に部室でブログ間に合わないーといっていました。書く気持ちがないとかやる気とかでもなく、これを書いたら引退なんだなって感じちゃうのが嫌すぎて、まだサッカーしたくて本当に書きたくないなって、大学でリーグは出てないけど出てない僕でも思うということは、140cmではげているキャプテンは何を思うのか今からわくわくしています。導入はこれくらいで、展開につなげていこうかなって思います。


めあて「髙田はサッカー人生で何を学んだのか考えよう」


今回はこのめあてで考えていきたいと思います。めあてを考えていくうえで必要な僕のサッカー人生について振り返っていきます。


 小学校何年生なのかはよく覚えてないけど、徒歩30秒のところに家がある友達に誘われてサッカーを始めました。初めてのサッカーの練習は何もできなかったのを覚えている。しかし、初めての試合で点を決められたからこそ、このスポーツやろうと心に決めました。点を決めたらみんなが喜んでくれて、すごいこんな楽しいことないぞと強く思いました。点を決めただけでポジションはFWだった少年団時代。特技はキックオフゴール、キックだけは初めてすぐの時から飛んでいた。そして、学校終わってから友達と友達の兄とサッカーの練習をして、ひとりワンツーを初めて習得した。その後、キラースライド、ジャッジスルーなど多くの技を会得していきました。そんな感じで少年団時代を過ごして、年上といっぱい試合してすごく楽しかった。一番の思い出はPK外して大会MVP獲得ということが思い出だ。同時にたくさん怒られた、最後の整列で握手するのを拒んでベンチにもだろうとして怒られ、保護者の応援にうるさいなと思い怒られ、一個上のサッカー始めたばっかりの子にパスを出さなくて怒られるなどいろんな方面から怒られました。その時、コーチにリスペクトが足りないって言われて、毎回泣きながら反省をしていました。しかし、次の日には忘れてまた同じことを繰り返すただのバカだった。今思えば、素直に受け止めていたら、もうちょっとちゃんとしてたと思う。ごめんなさい素直に聞かなくて。


小学校三年生になって、少年団を裏切りアスルに移籍。少年団に誘った友達を残し移籍したため、その当時は何も思わなかったけど今思えば最低だなと思います。その友達は今でも遊ぶし、サッカーがまだ好きでいてくれてなんか嬉しい。あの時裏切ってごめんなさい。

もちろんアスルには徒歩30秒の友達もいる。その友達は、なぜかチーム事情に詳しく人がいっぱいいて4チーム位できるって言っていた。僕は意味も分からず試合できるならいいやっていっていました。いざ、練習に行ってみると80人くらいいて確かに多いなって思いました。そして、一週間後に試合がありますってメールが来た。一週間後試合の場所に行ったら、友達はいなくて、知らない13人くらいでした。結構焦って、初めて一人でサッカーすることになって知らないコーチで今すぐ帰りたい気分でした。しかも、その試合ポジションはサイドバックで早く試合やって帰ろうと思いました。しかし、そんな思いとは裏腹にサイドバックが楽しいと気づきました。点決めれるし、アシストできるし、全員見れるしなんていいポジションだって思いました。そんな感じで、初めてのことを乗り切ってサッカー楽しいってなりました。最初はBスタートだったけど、なんか最後はAにいて友達と一緒に世界相手に戦ったのも面白かった。アスルでたくさんの友達が出来たし、いいコーチにも巡り合った。そして、メールでのメンバー発表、大会ごとのセレクション、一か月ごとに練習のメンバー入れ替えを口頭で言われる火曜日の練習などサッカーの厳しさを知って、少年団の時になめたことできないなって思って、保護者とかにも挨拶が自然とできるようになっていった。一番の思い出は土曜日毎回ゴン中山と話が出来て、ボールをけれることだった。でも、ちゃんと怒られてはいた。合宿で朝早く起きてコンビニにコーラを買いに行き怒られ、コーチの話を聞かずに友達と話してスタメン外され、ランサボってトイレ行って怒られなど適当ところは小学校では変えることはできず、終わった。でも、いいコーチに巡り合って、その人を勝たせてあげたいとか応援してくれる人のために勝ちたいという気持が生まれたのはこの時期である。小学校長くなったけど最後に言わせてください。掛川のチームと試合したときに坊主のやつが目の前で屁をこいたことを僕は忘れません。犯人出てきてください。


 時は流れ中学生になった、アスルは捨て別のチームに移籍。もちろんサイドバックをやっていました。この時、個人的な目標がありました。選手権でテレビに映るチームに行くために頑張るという気持です。それはなぜか小学校の時に応援されながら試合できることが楽しくて、もっと応援してくれる人が多かったら楽しいっていう気持だけで目標を立てました。それでは、中学編スタート。

 中学一年リーグ昇格をかけた大会で僕が守備をサボって負けるという情けないことをしました。その時周りは泣いていて、僕はその姿を見て涙ではなく逃げ出したくなり、トイレに逃げました。当たり前のように見つかり、友達がお前泣かなくて偉いよ、まだサッカー人生始まったばかりだからねって慰めてくれました。僕はすぐにサボってごめん泣く資格ないよって言いました。お前サボんなよとか俺がでたほうがよかったとか言われると思っていたけど、そんなことはなくずっと慰めてくれて、その優しさに僕は涙を流してしまいました。出てなくても一緒に戦っているとか言ってきたり、今日の11人でよかったとか言ってきて、中学生でそんなこと言えるかって思って、今まで僕自身、出てない試合なんてどうでもいいとか思ってたけどそんなこと言えないなって、そんな気持ちの人がいるなら出てる限りは最後まで勝ちにいかないといけないし、出てなくても勝ちを呼び込むために行動しないといけないと思うようになりました。中学の最初ですごいいい負け方したと思い、今まで負けはゴミとか思っていたけどそんなこともないなって初めて思ったいい経験でした。

 それから出ている時も、出てないときでもチームのために頑張ろうって思ってからすごく楽しい練習で、友達とサッカーの話をするのも多くなっていきました。そこから、試合でも負けることはほとんどなくて、自分もサッカーうまくなったなって感じるようになりました。負けた日は家帰って、なんで負けたのか考えてサッカーの練習をして、勝ったとしてももっとうまくなるために頑張ろうってサッカーしか見えない人生になりました。

 最初の目標は忘れず頑張って、テレビに映るような高校に行ける可能性出てきて結構舞い上がって、練習適当になったことがかなり後悔です。ここをあと少し、頑張っていれば悩まずにその高校行くと決められたでしょう。試合にもそこから出たり、出なかったりで不安定な時期がつづきました。そして、最後の大会僕は負けました。あの男に。そう、名倉太一である。最後の大会で、名倉のチームに負けて引退。あの時に戻れるなら、ここだけは勝てよと当時の自分に伝えたい。そんな感じで中学サッカーが終わったけど、いい仲間に出会って今も飲み行くし、スノボー行くし、サッカーするし、コーチにも感謝しかないし今でも餅つきを一緒にやる仲である。中学生で勝ちへの執着、チームを背負って戦う真の意味、ひとりでかかえこまず困ったら人に助けを求めることを少しずつ学びました。

 思い出はたくさん、合宿で朝5時から練習、バスでメンバー発表そのまま公式戦、アップ不足バレて前半15分で交代、キャプテン授業参観で試合欠席、ハチの巣に石投げて関係ない友達刺されたことがコーチに伝わりしっかり怒られる、学校生活ではテスト中にサッカー誘ってくれた友達とクリバリをゲットしたって話をしてテスト0点、自宅学習日みたいな日に家の前で友達とサッカーして先生にバレて怒られるなどを経験。


 人生の転換期高校編へ突入。高校は中学の時たてた目標は捨てて、家から自転車で50分の高校に進学。中学のコーチには目標の高校行った方がいいと思うって言われたけど、進学した高校の練習行った時、小学校の時の一個上の人いたのと監督が今から高校を強くしようよって言われて、なんだその面白い言葉はなってここにしようって決めました。リーグがどうとかどうでもよくて、トーナメントで、一撃で強いとこ倒せばいいって思って目標は捨てました。

 いざ高校に入ってみたら、担任は部活の監督でかなり肝は冷えました。下手のことはできないぞと思いました。しかし、下手のことをたくさんしました。まず、小テストは追試が本番、赤点獲得で補講終わったころには練習終了、学級日誌全部平仮名で書くという失態をおかし学校生活でかなりなマイナスをたくさんしてしまった。すごくもったいないことをしたと思うし、なめているなと今だからこそ強く思う。練習では、笑って怒られたこともあるし、追試報告せずに行って怒れる、試合中に相手に暴言など問題児すぎる行動を繰り返していました。それでもその都度注意してくれて、こうしろとか言ってくれるし、試合はちゃんと干されるし、僕のなめている態度をしっかりと怒ってくれて、その時は天邪鬼的な感じで心に響いていないふりをしていたけど、監督に憧れを持っていた。この人を勝たせたい、この人みたいになりたいと思って教師になると決めて、目標の大学も表向きでは筑波とか言っていたけどその人の出身大学をずっと目標にしていた。

 サッカーではなぜかボランチを経験した。正直この意図だけはわからなかった。ごめんなさいなぜ僕をボランチにしたのか教えてください。そして、小学校の先輩も良くしてくれて、アスル相手に二人で決めた点は忘れません。その人も引退して、いざ自分たちの代になって一応進学校であるために、引退がインハイと早い高校であった。新チームになるのが早かった。新チーム当初全然試合に勝てなくて結構イライラしていた。やる気なくして、怪我もするし、ヘルニアも出てきた。それでも、できることはないかなって思ってロングスローを獲得。その武器を持ったまま合宿でいろんなところと試合して勝つことが多かったのに、バス移動でそのまま試合をしてきた米子北にぼこぼこにされて結構気分が落ち込んだ。ロングスローで上がった気分は下がった。そんな感じで、時は流れ新人戦。静学にぼこぼこにされて新人戦を幕閉じた。チームが勝ちだした中での大敗で気持ち的に落ち込むことはなく、逆に気持ちよくてまだまだサッカー楽しんでうまくなれるなって思って結構わくわくした。負けた後に監督は何を思ったのか、一旦このチームは解散とか言ってその日を占めた。きっと、まだ上を目指せる強くなれるってこと言いたくて日常から見直せってのを独特な言い回しで伝えてくれたんだろう。そこから、サッカー始めたての頃位楽しくて学校が閉まるまでサッカーをして朝も早く来てサッカーしていた。結構はまったけど、インハイはあっけなく終わって、自分は直前に胃腸炎になってすごい今までのが何だったんだでくらい一瞬で過ぎ去っていた。なんで楽しいことは一瞬で終わりがあっけないんだろうって考えていた。その時思ったのは、本当に無我夢中になっているときは、何も考えずに体が動き続けるんだなと思った。これやって、あれやってとかじゃなくてこれ、これって選択出来て気づいたら何か成功して、失敗してを超高速でできるこれが真に楽しめる状態だと強く感じた。監督は良く馬鹿になれって言っていた。きっと、ぼくがその時に感じたことをまた独特な形で言ってくれたんだろう。高校では、真に楽しむことを学んで、憧れるような監督に出会い、世の中をなめすぎていることを痛感した。高校もたくさんの思い出がある、キーパー拗ねて一時間くらい排水口に挟まったり、フライングバックしてみたり、電チャ通っているのに100m先のセブンに毎回送り迎えしてもっらてるやつがいたりと楽しかった。学校生活でも、裸足でグラウンドに並んで校歌を歌ったこともある。本当に楽しくて、監督には大変お世話になりました。これからもよろしくお願いします。そして教師になるという夢を持てました。


 やっと来ました大学編。大学では高校の時に憧れを持った監督の母校である大学を受験。受験では、サッカーでは圧倒されて、ハードルは一本破壊、面接早上がりという三本立てで不合格。初めて勉強で失敗してかなり落ち込んだ。しかし、後期の大阪教育大学、スローインで合格を勝ち取りました。結構うれしかった。そして、ここで出会ったのがジュンセイとユウタである。どうしてか、三人とも同じチームだった。ユウタはずっとかしこまった感じでいたし、ジュンセイはシュート何本決めたで数えてないというし今と変わらずの二人がいた。いざ試合となって何回か引き分けて、最後の試合に突入。最後の試合で誰かが劇的ゴールを決めて勝利。受験とか忘れて普通にうれしくて喜んでいた。アオアシのセレクションでのゴールばりの歓喜であった。正直人生で一番うれしい勝利でした。

 そして、特に理由もなくサッカー以外頭になくて部活に入った。そこにいたのは、小学校では目の前で屁をこき、中学では敗北した男、名倉太一がいた。びっくり仰天世界は狭いなと心の底から思った。さらには学科も一緒ととんでもない確率を引き当てた。名倉の話は置いといて、大学生活ではたくさんのことを学んだ。

 入部して、最初挨拶が適当すぎて注意され、連絡の文章がよくないと注意され、準備が遅くて注意されと今思えば結構あたりまえのことでそんなこともできないまま大学に入ったのかと情けない気持ちになります。それでも、すごく恵まれていた当たり前のことを指摘してくれる人たちがたくさんいていい方向に変わっていったなとすごく感じます。サッカーでは、周りがうますぎて練習で何してんのかわかんなくて、疲れることなく練習が終わることが多かったです。練習の内容を理解するのに何年もかかって最近ちょっとずつ理解してきました。でも、なぜかこのとき自主練もしないという奇行に走ってわからないまま終わったのが結構今でも不思議です。この時から癖付けとけばとかかなり思います。練習で苦戦していて、Ⅰリーグはあるからそこで出たときに頑張ろうって思っていました。練習で苦戦している以上、試合でも当たり前のように苦戦していました。そしてチームも勝てないみたいな状況が続いて頭がパンクしていました。そんな感じで一回性は終わったのですが、その中でも頑張れたことがあります。Ⅰリーグでの初勝利と最後の試合この時は自分の中では頑張れたなって思っています。初勝利の時は、試合やってて、なんか勝てそうだなって思って、頑張る気持ちが湧いてきて、めちゃくちゃ楽しい状態でした。最後勝ったときに4回生の方がめっちゃ喜んでて、すごい嬉しくて勝たすことが出来て満足しました。最終節の時は関大の応援があって、気持ち的に上がって観客わかせたいという一心で試合していて、結果としては負けたけど4回生を勝たせたいという気持が強でて、勝ちに執着できた思い出の試合です。一回生のとき、練習は難しいけど、そんな状況が楽しくて、面白かった。


 二回生になって、Ⅰリーグにも出れないってこともあってさすがに面白くないなって思って、ちょっとだけボールをける回数増やして筋トレするようになった。しかし、試合に出る回数は変わらずで面白くないがずっと続いていました。結構面白くないときって、日常生活もおもんなくて結構適当に生きていたなと思います。正直、今までのサッカー人生でこんな面白くなくなることなくてどう立て直せばいいのかわからず、途方に暮れていた。今思えば単純にもっとサッカーをすればよかったというのが結論である。今だからこそわかる。けど、この経験がなかったら、そんなことにも気づけずに沈んだ気持ちの取り戻したかたを知らずに大人になっていただろう。そんな出れないとかあったけど、サッカーは面白くないけど楽しい状態ではあって周りの人がすごいうまくてそんな中でサッカーできて幸せって今もなお思っているので、この時に少しでも面白いにできていたらどうなったのかって気になる。二回生は、試合なくて面白くなかったけど、楽しいが残っていた。


 三回生になって、腰を負傷。足しびれてめんどくさかった。朝起きるの時間かかるし、ここで怪我したらリーグ戦出れずに終わるなって思ってどうしようと絶望。そこで、思いついたのがなんか一発あれば試合いつか出れるかなと思い、体を強くしようと思いついた。そして、中学生ぶりにちゃんとトレーニングを始めた。かなりきつくて心は折れたが、折れた分強くなって回復したため、メンタル体とともに回復してボールも蹴れるし走れるようになった。しかし、ボールの蹴り方も忘れ、試合ってどうやってやるのかもよく覚えておらず焦った。それでも、この体をどうやって扱うのが楽しみで、今まで面白くなかったサッカーが面白くなって、サッカーがより楽しくなった。三回生の時は、初めて自分との戦いを経験をしてなかなかいい思い出になった。


 4回生になって、怪我も治り、やっとサッカーできるとわくわくしていました。バイトでカナト君に4回の目標はって聞かれて毎回Ⅰリーグで全国出ますって言っていました。カナト君オッケーって感じだったけど、僕は結構本気で言っていました。そんな目標を立て、練習に励みかなり楽しかった。しかし、Ⅰリーグに出場しないことがわかり、一気に目標を失いまた途方にくれました。そんな時くらいからまた腰痛くて、何なら教採のストレスで風邪ひくしでかなり悪循環気づいたら夏は過ぎて現在になっていました。これは高校のインハイのときとは違い、悪い感じで過ぎていってみて見ぬふりをしていたなと感じています。ユウヤ君にもたくさん4回生としての自覚が足りないとか、他責すぎるとか、もっと人を頼って自分の能力を過信するなとか言ってくれて、本当にそうだなって思えて、高校の時からの反省を生かし何か行動に移そうと考えました。急に試合に出るには、時間もかかるし簡単なことではないから、すぐにできることは何かなと思い考えたのが、人と話すことだと思いつきました。夏位から下の回生と話すようなったと思います。人に興味をもって、チームのために何かしようって思って会話をしようって選択肢を取りました。これがよかったのか悪いのかはわからないけど、自分のなかではちょっとした変化かなと思います。それにより、少し問題があって会話しすぎた結果ツバサとsetlogをやる羽目になりました。ぜひ興味がある人は声をかけてください。入れてあげます。こんなことやり始めてからより一層サッカーは楽しくて、何気ない練習試合負けたら悔しいし、勝ったらうれしい、なかなか大学生になってこの気持ちはない。4回ではじめてだ。かといって練習がむずいのは相変わらず練習は理解に苦しんでいる最中だが今は無我夢中である。そして高校のときと違って、サッカーのプレーしてる時だけじゃなくて、部活っていう時間に対して夢中になってて人生で最高に楽しい状態である。リーグとか出てないけど応援とか勝ったら喜べるし、負けたらちゃんと悔しい、今このチームで戦えていることが最高に面白い。だから、最後笑って終わらせたら自分の大学サッカーは面白いまま終わらせれる。だから、タカがんばって。

 大学もたくさんの思い出がある。紅白終わりに急に何か話せって言われて、出てきたのがサテもっとやってほしいというほぼ塩貝みたいなこと言ったり、カンジ君のせいで山大君を怒らせてしまったり、スーパーマンで宙を舞ってみたり、雪の日に松原先生に雪玉ぶつけてみたりとたくさんの思い出がある。この思い出に昇格が加わるとなるとより豪華になる。


 まとめ、僕がこのサッカー人生で何を学んだのか。正直長くて覚えてない人もいるでしょう。僕も分かりません。サッカーをやってなかったら、僕は気づけないことがたくさんあってそれに気づけたというのは大きな学びである。挨拶とか、人との関わり方、チームスポーツは何かとかを学べた。まとめって感じになるのか怪しいけど、僕はこんなことを学びにいったわけじゃなくて、学ばせてくれたが正しいと考えます。僕自身は、本当にサッカーをすることにしかしてなくて、それ以外のところに自分から目を向けることは少なかったと思います。けど、僕はサッカーの技術以上に多くのことを得ることが出来たのは、ろくでもない僕に声をかけ続けてくれた人がいて支えてくれる人がいて、とにかく人に恵まれたサッカー人生だったというのを学びました。いい友達もたくさんいるし、いい指導者にもあって、いい先輩にも出会えて、こんなろくでもない自分にはもったいないほどのことである。きっと今まで、この恩を返せてないし、口に出すこともなかったから、最後の大学サッカーで魅せていきたい。きっとSNSは見てくれるだろうから、とにかくいい報告が出来るように最後まで足掻いていく。返さなかった恩は、社会に出てから返していこうと思う。一生分の恩をもらっているからこそ、これからは人のために行動していくようにしていきたい。

 結局何を学んだのか、サッカーは最高に楽しくて、人に恵まれているっていうのを学んだ。


最後にお世話になった方々へ

 同級生編

・げんとぶんご:同い年なのにまだあと一年サッカーできて羨ましい限りです。二部の舞台で輝いてください。そして、なんで同い年なのに学年が違うのか今度詳しく聞かせてください。


・大田:城ホールのあとどこ行ったのか今度教えてね


・じゅんせい:ソフィアコートいつ解約する?


・周太朗:今度スタバで一番大きいサイズ飲みに行こう。


・けいすけ:また今度冷蔵庫の中確認しにいくわ。


・えいる:恋愛でもインターセプトしちゃうか。


・あきほ:なんでゆうなちゃんやめたの?


・ゆうた:近鉄八尾の高架下集合で


・名倉:今度、ラインで言うわ


・たか:近距離遠距離恋愛のプロの方ですよね


・ひかる:卒業式きてね


・表:こじの家で焼きそば食べに行こう


・いぶき:練習の時首元になんかついてね


母へ

今まで好きなようにサッカーをさせてくれてありがとうございます。スパイクとかいっぱい買ってくれて、送り迎えもしてくれて、遠くの試合でも見に来てくれて、きっとサッカーのルールもいまいちわかってないはずなのに車内で感想いってきて、意外と芯を食ってて何も言えませんでした。母親一人でいろんなことをするのは大変だっと思いますが本当に感謝しています。暇だったらアインシュタインのライブ行かずに試合見に来てください。面白いと思います。また来年から実家でお世話になります。


バイト先の方々へ

バイト先でも数多くの失態を犯してしまい大変申し訳ございません。釜崎先生にもたくさんのご指導をいただき、本当に感謝しています。自分では絶対に気づいていなところに気づかせてくれて成長することが出来ました。砂田先生は、部活で一回性の時に院生コーチとして指導していただき、あの時にたくさん走って、紅白の時はトップを倒すとかの気持ちを教えてくれて、難しい練習の中にも面白いところを発見することが出来ました。Ⅰリーグで勝てないことが多くて勝たせることが出来なかったと思いすごく悔しいです。それでも、サッカー以外のところもたくさん教えていただきありがとうございます。またお会いできることを楽しみにしています。犬飼先生、異国の地でサッカー頑張ってください。バイト終わりにたくさんご飯につれってくれてありがとうございます。異国地での試合見に行きます。

越本先生、またネット上で会うことを楽しみにしています。また、バイト来るときがあればお話ししましょう。栢原先生へ、尼崎行きの電車に乗っていた女の人は誰なのか、ジムに行っていないはずの家のインターホンを押したら物音がしていて、謎が多いですね。シフト提出いつもおそくてごめんなさい。

Alex方々へ

ケガしてお世話になってそこから通わせていただいて、最初の頃はきつすぎて吐きそうだったけど最近は気持ちが強くなって気持ちよくなってきました。たくさんトレーニングしていただいているのに結果として出せてないのが不甲斐ないです。残りの期間でどうにかして結果を出していきたいと思います。Alexであったさ、としくんとかたくとくんにも刺激を受けて、いい経験なりました。まさくんもたくさん一緒にトレーニングしてくれてありがとうございます。夢の続き見に行きましょう。本当にAlexの方々にもお世話になったので最後に本当に結果で示していこうと思います。


スポンサーの方々へ

去年からスポンサーとしてチームを支えていただきありがとうございます。去年は三部降格という結果でいい報告をすることが出来ませんでしたが、今年は昇格していい報告が出来るようにします。日頃から支援に感謝し、日々の練習に励んでいきます。これからも大教大サッカー部をよろしくお願いいたします。


すごく長くて読みにくい文章になったので、ちまちま読んでください。後輩で飯今度行こうとか適当言われた人言ってください今度行きます。


大変長い文章になりましたが読んでいただきありがとうございます。みんなで最後昇格して笑いましょう。


次は、サッカー始めて7年目、遅刻は入部3日目から、大教の坂は3分で駆け上がる、世羅を世界と繋ぐために日々奮闘している副キャプテン奥川惇世です。乞うご期待。



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