『この選択を正解に』
- 男子サッカー部 大阪教育大学体育会
- 3 日前
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皆さんこんにちは!2回スポーツ健康コースの横山智紀です。
ワールドカップが迫ってきていますね(2026/6/6現在)。
僕の予想では、フランスが優勝して、日本は3位です。外れていたら、2回生恒例のアイリスじゃんけん、決勝までシードで構いません。
去年のブログでは、来年は少しでも成長した姿を見せたいと言いましたが、今のところ実感はありません。
去年帰省した際、何度か「大人っぽくなったね」なんて言われましたが、それはきっと陰キャ度が増しただけで、中身は何も成長できていないでしょう。
今年は福井旺君(大教屈指の陽キャエース)に「黙れや陰キャ!」って言われる回数を減らしていきたいだなんて思っています。
それではそろそろ本題に入っていきます。
1年に一回自分のことを振り返られる貴重な機会なので真剣に向き合っていきたいと思います。
つたない文章ですが、最後まで読んでもらえると嬉しいです。
「正解にする」
この言葉を初めて聞いたのは、小学5年生の時で今でも明確に覚えています。
東部浄化センターでの試合の休憩中、隣のコートでしていた、楠那FCと青崎FCの試合をなんとなく見ていた時のことです。
楠那FCのひときわ背の低い女の子(今ではWeリーガー)が相手キーパーへのバックパスに唐突にプレスを掛けたが、味方はだれも予知しておらず、相手も整っていた。そのため、パスでかわされ、プレッシャーとして機能することはなかった。
しかしながら、楠那FCの監督は、女の子にプレスのタイミングを指導するのではなく、
「チームメイトがプレスを正解にしてやるんだ」と言った。
よくある指導かもしれませんが、「何が正解だろうか」と考えすぎて、行動までたどり着かない僕は、新しい“人生の指針”に出会ったような気がしました。
これ以降、進路選択の時はこの言葉を意識してしまいます。
高校の時も友人と進路相談をしていた時、「お前が正解にすればいいんだろ」なんてかっこつけて言い放って、一時期クラス内でミームになってしまいました。
しかしながら、大学に入ってからのこの1年間、自分のプレーが満足いくものではなく、授業も想像していたものと少し異なり、「この選択は正しかったのか」と考えてしまう日々が続きました。
練習をしているときも、授業を受けているときも。
手を抜かず取り組んでいた自信はありますが、頭の片隅には常に「本当に自分が学びたいことなのか」、「ほかの環境を選んだほうが良かったんじゃないか」という迷いがありました。
心配性は生まれながらなので仕方がないとは思っていましたが、うまく寝付けない日も多々あり、かなり滅入っていたと思います。(同期からの誕プレは高級枕でした。ありがとう!)
こんな感じでくよくよしていた時、高校の友達に相談すると『お前が正解にしろって言ったんじゃないか』と怒られてしまいました。
自分が人に言っていた言葉なのに、僕だけがその考えを忘れていた。
自分で偉そうに言っていた言葉が返ってくるのがすごくダサくて、悔しい気持ちになったのを覚えています。
これ以降、過去の行動に対して悔いたり、悩んだりすることは減ってきました。
結局はそれ以降の自分の行動次第で何とでもなる。どうにでもできる。と楽観視できるようになってきたと思います。
卒業するときに、「この選択は正解だった」と思うためには何が必要なのか。
それはきっと、この限られている
“大学生としての毎日をがめつく吸収して、努力し続ける”ことだと思う。
僕の学生リーグ出場時間は合計15分程度。
怪我は言い訳にならない。
特に今年は多くのチャンスをもらいましたが、ことごとく逃し続けています。
大切なのはチャンスをつかみ取る握力であって、握力を高めるためには、努力を続けるしかない。
全ては“この選択を正解にするため”に。これからも毎日を全力で取り組んでいきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
来年こそは、成長したと胸を張って報告できるよう頑張ります!


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