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本音

三重県生まれサッカー育ちラーメン好きは大体友達。

同い年のゆうせいから何故かベテランとご紹介に預かりました。


スポーツ科学専攻4回生の齊藤琉矢です。


引退ブログの締切日に焦って同志が書き終えていく中、締切日と投稿日を勘違いしてしまい大ピンチ。

のはずが何故か逆に落ち着いて書き始めています。


慶次郎から「ギリギリの齊藤」と名付けられるほど、何事もギリギリだが絶対に間に合わせるという能力を持っているからなのでしょうか。


卒論も何やらやばいらしく松原先生から鬼の前プレを喰らっているのですが、なんか間に合う気がするので12月に入ってからしようと思っています。

嘘です、すぐ持っていきます。



同期の引退ブログを読んで感動しては不安が募る中、山大の絶妙に薄いブログにとても安心させられました。

サッカー人生を振り返りながら感動させられるようなブログ書きます。

おなしゃーす。




出会いは小学一年生。


ヤンチャすぎる母親に手を焼いた母親が、クタクタになって家に帰ってくるようにとサッカーか野球を提案。


するとサッカーが好きな父親に

「野球のスパイクは尖っているから足に穴が空くよ」

と言われ半ば強制にサッカーをする事に。


そうして中の良い友達が行っていた香良洲サッカー少年団に入部。

好奇心旺盛だった俺は特別そうなキーパーを志願。思惑通り行かない息子に母親は更に頭を抱えたことだろう。


2年程キーパーをしたが、ゴールポストにぶつかり流血した事で嫌になりFWへ。


そこからは気持ちくん系快速FW(※本当)としてメキメキ実力をつけていった。

とにかくゴールが好きで、あの時ブルーロックが実在していたら確実に招集されていた。

同学年が8人しかいないチームでは圧倒的エースだったと自負している。



そして小学四年生、初めての転機が訪れる。


県トレの試験は最終で落ちてしまったのだが、ある日突然家に電話が。


母親から受話器を渡されると、聴講生という形で県トレの練習参加に来て欲しいとの事だった。


練習参加で何とか結果を残した俺は晴れて県トレ選手になった。


たまらなく嬉しかった。脳汁が溢れた。


しかし追加メンバーな訳で、県トレの中ではまだまだ下手くそ。

この時期は多分1番向上心を持ってサッカーをしていた。

1人は設計士、1人は大工という最強の祖父陣をフル活用し、家の狭い駐車場内に特設ゴールを作ってもらった。


今ある多少の足元の技術は、このゴールで父親と練習したエンドレス1対1で身に付いたのだと思うと感謝しかない。



中学校時代は、監督から勧誘されヴェルデラッソ松阪U-15に入団。


しかしいきなり挫折を味わう。


県トレに落ちた。自分の中で大きな自信に繋がっていた部分が崩れ落ちた。


中学生では身体の大きい選手が選ばれる傾向にあるとはいえ勿論小さい選手も選ばれていた。

なのに小さいからと理由をつけ、努力する事から逃げた。


試合にも出れない期間が続き、あの時は腐り街道まっしぐらだった。


だが、学年があがるにつれてやっぱり試合に出たいと思うようになり序列をあげていった。



放課後、練習のない日はほぼ毎日友達と公園でサッカーをしていた。


学校にサッカー好きが多かったのも功を奏し、「ティーポット」というチームも作った。


本拠地である旭ヶ丘公園で日が暮れるまでボールを蹴って、先客がいた時は道場破り的な感じで試合を仕掛けてはコートを奪っていた。


そんなこんなで3年生になる頃には主力として活躍出来るようになっていった。


発足3年目のチームだったが、チームメイトにも恵まれクラブ史上初の県大会優勝を手にした。




高校でも、監督からお誘いを受けた縁で三重高校を選んだ。


噂では横領があったらしく、入学したら監督が変わっていたのには目が点になったが、ここで3年間やり遂げようと決意した。


昔から勉強は割と得意だった為、勉強に1番力を入れているコースを選んだ。

このコースは他のコースより授業が一限多く、練習にはいつも遅れていかなければならない。


部員数100を超える中で、このコースに所属しているのは3人だけだった。


皆と楽しく話しながら練習にもいけないし、アピールする時間も少ない。アップもロクにできない。


コースでは先生から部活ばっかしてないでもっと勉強を、、みたいな圧力がかかる。


正直苦しかった。

受験期には1度サッカーをやめようかとも考えた。


同期に1人だけいた練習遅れ仲間が辞めたタイミングでキャプテンに相談したら、笑いながら

「冗談おもんないで」

の一点張りで流されて、なんか辞める気無くなった。


後から聞いた話では監督にしっかり相談してくれてたらしいやん。

あの時辞めてなくてホンマに良かった。げんきありがとう。


補修に行かされないようにテストでも上位を取り続け、胸を張ってこの3年間は人生で1番頑張ったと言える。


結果、3年生の時にはインターハイと選手権で優勝し、高校史上最高成績を収めた。

選手権の全国で1個下にスタメンを奪われたのは悔やんでも悔やみきれないが、最高の高校サッカーだった。





長々とサッカーについて振り返って来たが、これまでは過去の栄光。ここからがこのブログで本当に伝えたい部分。





インターハイ優勝のおかげで推薦として大阪教育大学に入学。

サッカー部に入ったが、正直そんなにやりたくなかった。

なんとかサークルに入れやんかなとか考えてた。


恐らくバーンアウトの状態だったのだと思う。


1回生からやる気はそれほど無かったが、恐らくこれまでの貯金のおかげで開幕から途中出場をさせてもらい、怪我の影響もあったが2節目ではスタメンに起用してもらった。


当時からやる気に満ち溢れていた「金もらってんだろ古口」から凄い目で見られていたのを今でも覚えている。


2回生ではチームのシーズン初ゴールを決めた。(試合には負けた為ほとんど印象に残っていないが)


それでも守備とかハードワークとかしんどい事はしないし、練習もたまにサボったし、やらかしも多かった。




ここで、懺悔代わりにこれまでのサボりややらかしをいくつか書いておく。


・事故の処理で…とか意味のわからない言い訳で当時愛知に住んでいた彼女と1週間ほど遊ぶ


・コロナ期間で練習が出来ず外出自粛の期間にキャプテンとのzoom面談を忘れていて、1人だけ電車の連結部分で受ける。


・サボって三重に帰ろうとした電車でしんたろうくんにバッタリ遭遇。


・寝坊したのに何故か優雅に朝すきに行き、LINEしてから来るのが遅すぎるとかなとくんにブチ切れられる。

etc...




まぁこんなやつが評価される訳も無く、出場機会はどんどん減っていった。


3回生からはメンバー入りもまちまちになった。


別にいいやみたいなスタンスでいたのだが、本心はそんなことは無かった。


俺は実力至上主義の考え方なので、試合に出ることが偉い、下手なやつ試合に出てないやつはクソって考えだ。


だから試合に出てない自分が恥ずかしかった。


でも、


「だから努力しよう」

「サッカーの為に時間を使おう」


これが俺には出来なくなっていた。



そしてずるずる時間が過ぎ、気付けばラストイヤー。


前期はたまに途中出場があったが、教育実習を皮切りに完全に身体が動かなくなった。


前期第8節の関国戦を最後にメンバー入りすらしてない。

正直このまま終わってもいいかななんて思い始めてしまっていた。




そんな矢先の後期第6節立命館戦。

完治が倒れた。


ただのパチ友だと思っている人も多いと思うが、俺の中では1番と言っていい程仲のいい友達だ。


倒れ方とかあいつの表情から


「終わった」


と思った。


試合後すぐに駆けつけ、救急車を待っている間に色々な想いに駆られた。



試合に出ていた頃はよく左で組んでいたので、

「あん時すげぇ楽しかったなぁ」

「守備しろってよくキレられたけど完治から受けるロングボール好きだったなぁ」


とか


「最近めっちゃ身体張って頑張ってる完治は引退になってしまうかもしれないのか」


とか。



ここ最近は飯行く度に「降格だけはマジでしたくない」って話していたので、完治を見ていたら自然と少しだけ涙が出てきた。


多分あの涙は、悲しみ半分情けなさ半分だった。



前十字じゃ無さそうかってLINEしたら、それはないと見てるって来た後に、


「お前本気出せ」

「チームを救ってくれほんとに落ちる」

(最後に痩せろも)


って送られてきた。


あの後皆と話した時には、くらい過ぎて主人公すぎるってまぁ半分笑いながら話したけど内心自分がめちゃくちゃその言葉にくらってた。


その後の練習は、多分大学入って1番くらい頑張ろうと思って臨んだ。


でももう遅かった。どんだけ頑張ろうと思っても身体はついてこやんし、根性の出し方も忘れてた。

残り数節でチームの力になれる程戻すのは無理なのだと悟った。


終わり良ければ全て良しとはよく言うが、本当にそうだと痛感させられた。

ブログを書きながらも思う。

「でも」「でも」ばっかり。

後味の悪いサッカー人生になった事を後悔している。




皆にはこんな想いをして欲しくない。


サッカーを続けない人にとっては、競技サッカーをするのはここが最後。

「楽」しむことをモットーにサッカーをしてきたが、「楽」をしてしまったことでこんな結果になってしまった。全力でやる楽しさを最後の最後まで感じて欲しい。

浅い言葉にはなるが、本当に全力でやりぬいて欲しいと思う。


これが俺の本音。






あ、けどまだチームは降格決まってないし、試合に出る為に残り数週間だけ死ぬ気で頑張って最後チームに貢献したいと思ってます!





メッセージパート


同期へ

恐らく沢山の迷惑をかけました。皆がひとまとまりというよりかは十人十色って感じの学年やったけど、それがまぁたまらなく面白かった。ありがとう。回生罰金集めるシーズン終わりの飲み会は自分の額が多くてあんま楽しみじゃないけど最後本音ぶつけて暴れましょう。


後輩へ

このブログに書いたことが全てです。後悔の無いように頑張って。

特にいぶきとかは同じ想いするぞ。まずは練習に来ることから始めよ。

次大もメンブレ起こさないように。

飯連れてかなあかん人とか何人かおったような気がするから言ってきてください!


家族へ

まずはサッカーを続けさせてくれてありがとう。

大学では良い所あんまり見せれやんかったけどそれでも試合を見に来てくれて最後までちゃんと頑張れって応援してくれた母ちゃん。

試合のビデオを毎試合撮影してくれたり、練習付き合ってくれたり影ながらずっと支えてくれた父ちゃん。

本当に感謝しかないです。来年からは市役所役員として真面目に働きます。遊びでも試合するとかなったらまた見に来て。

小さい頃から何回お姉ちゃんっ呼べって言われてもゆいって呼び続けてきたゆいには、すんごく迷惑かけました。サッカーのせいで小学生の時はおばあちゃんっ子だったゆいに「サッカー嫌い」って泣きながら言われたのを今でも鮮明に覚えてます。でもそんなゆいが選手権で東京まで応援に来てくれて、「琉矢のサッカーのおかげで東京来れて良かったわ!カッコよかったな!」って言われた時は泣きそうでした。ありがとうお姉ちゃん。



なんか気付けば結構長い事書いてしまいました。


読んでくれたみんなありがとうございます。


少しでも誰かの心を動かせていたら幸いです。


ではこの辺で。






次は我らのアイドルちーちゃんです。

言う事全く聞かないこの学年を4年間支えてくれたおてんば娘のブログ

お楽しみに!

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