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過程に意味を与えるために

こんにちは。スポーツ健康コース一回生の今村太亮です。

僕は現在、大学の生協バイトをしており、先輩達から夜の食堂(夜職)と呼ばれていますが決して怪しい仕事ではありません。健全に働いています。月・木17時〜第二食堂でお待ちしております!

そしてもう一つ。表くんは僕のことをJPと呼んでいます。実は高校時代にも特定の先輩1人からおまえJPに似てね?と言われて、当時はこの人何を言ってんだろうとスルーしていたのですが、まさか大学に来てまで同じことを言われるとは思いませんでした。顔の形は似てるけど顔は似てません。これだけは主張しておきます。


入りはここまでにして大学に入り1回目のブログは少し真面目に、僕の過去について書いてみようと思います。

僕は幼稚園の時にサッカーを始めてそこから小・中・高とサッカー漬けの日々を送ってきました。

中学までは順調にサッカーをしていましたが高校では挫折を味わいました。僕が通っていた高校のサッカー部は、今思えばかなり特殊で超攻撃的な戦術を採用していました。戦術理解度が取り柄だった僕は高2の途中でトップチームに上がることができたものの、技術面でも身体面でも周りのレベルについていけずにBチームへ降格。高3になり自分ならいつかAの試合に出れるという根拠のない自信があったものの受験のこともあり一時期はサッカーを辞めようかなと思っていました。

しかし転機が訪れてコーチにBチームのキャプテンを任命されました。最初は気が乗らなかったけど、キャプテンとして挑んだ公式戦で勝利した時とんでもない達成感がありました。90分間チームの勝利のために戦って苦しい時間を守り切り仲間と意思を通わせて点を決めて勝つ。やっぱりサッカーは最高だしやめられないなと思いました。

そして、キャプテンとして勝ったり負けたりを繰り返す中で強いチームとはどんなチームなのか。チーム組織を上手く回すにはどんな人間やルール、リーダーが必要なのか。という問いが芽生え、大学ではこうした組織論やスポーツ科学を学びたいと考えるようになりました。

そして志望校について考え始めていた時、高1の頃から薄ら憧れていた筑波大学。一人一人が高い熱量を持ち、教養のある頭の良い学生たちが自分たちで組織を作り上げる筑波に行きたいとそんな思いで筑波大学を志望しました。

しかし、現実は甘くありませんでした。現役時は滑り止めの大学しか受からず、今振り返ればやっていたつもりで口だけだったのだと思います。そこで両親と相談する中で浪人という選択肢を与えてもらいもう一度挑戦することにしました。(浪人時代の詳しい話は同じ志望校を目指していた浪人組の松本翼くんがおれブログの題名「受験生へ」にするわーと言っていたので割愛します)

浪人生活は毎日しんどかったですが学業と競技を研ぎ澄ましている今が人生で最も強く賢いと思いながら過ごしていたので意外と苦ではありませんでした。1年間一切の妥協を捨てて受験勉強に捧げました。しかし、結果は不合格。大教大に合格し国立に行けたという安心感はあったけどそれ以上に悔しさが残りました

親への申し訳なさ、一年間の努力は意味がなかったんじゃないか、最初から身の程知らずな挑戦だったのかと。


それから時間が経ち、悔しさは少しずつ解消されていきました。大教に入学し、気の合う仲間とサッカーできてオフには遊びに行ったりと毎日楽しい日々を送れています。大教大に来て良かった、こういう運命だったのかなと感じることもあります。


けれど、筑波に行きたかった思い、行けなかった悔しさは忘れたくないし忘れては行けないと思っています。筑波に行ったら熱量の高い人間と切磋琢磨し合い成長できる、自分が心から望む環境で生活できていた。この怒り、苦しさをいい経験だったと美談で終わらせるのは1年間本気で頑張った自分に申し訳ないし割が合いません。筑波に届かなかった怒り苦しみ嫉妬を原動力に変えれるよう忘れずに持っていたいです。


こういう思いを心の内に秘めながら生活しています。大教大はまだ完成されたチームではないからこそ、ここから自分たちで強くしていく面白さがあるなと感じています。とは言え、今の僕にはチームを変えれるほどの実力も影響力もありません。

大教大は人数的にAB分けず全員で練習しています。自分含めBチームの人間がどれだけ必死に食らいついてチームの底上げをできるかが大事です。

まずは復帰して日々の練習から全力でサッカーを楽しんでいこうと思います!



高校〜浪人〜今に至るまで長々と書いてしまいました。こんな内容で大丈夫か不安ですがどうせ書くなら浅い内容は書きたくなく自分の考えを正確に書きたかったので言葉にできてよかったです

最後まで読んでくれた方、ありがとうございました



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